福岡旅行記2024~ぎゃらりぃ畦編①~ [日本の旅(九州&沖縄)]
福間駅でぶらぶらした後、夏炉冬扇さんに言われた通り、
ふくふくの前で待っていると、
ネットで写真が紹介されていたので一方的に顔を知っている夏炉冬扇さんが
迎えにきてくれました。
はじめまして、とご挨拶しながら、夏炉冬扇さんの車に乗ってぎゃらりぃ畦まで
暫しドライブです。
久しぶりに見るマニュアル車を華麗に運転するお姿を助手席から観ていると、
「うつぼさん、思っていたより痩せてますね」と言われました。(笑)
あれだけ呑んで食べているのでもっと巨漢と思われていたようですが、
(痩せてはおらず、やっぱりデブの部類に入ります、誤解無きよう。)
お話上手な夏炉冬扇さんに道中色々とご説明をいただきました。
車窓から見える景色
福津市は縄文時代の遺跡が沢山出てくるそうで、地域によっては家を建てる前など
発掘調査を行ってからでないと工事ができない場合も多いそうですが、
そういう点では昔々から人々が暮らしていたエリアなんですね。
また、途中でなまずの大きなオブジェの前を通ったのですが、
福津市となじみのある生き物が「なまず」で、
https://www.city.fukutsu.lg.jp/kankou/view/spot/1103.html
室町時代に有力守護大名が争った応仁の乱(1467-1477年)で、
西郷出身の社職兼務の武将である藤原興光が、大内家の命で山城国(京都)で合戦の折、
深手を負い、戦場と本陣との間に大河があって渡ることができなかったところ、
大なまずが川面に現われたので、その背中にあった鞍に乗って対岸の本陣に無事帰還、
一命を得たことから、西郷の氏神・大森の御祭神の権化に違いない、
それ以降、西郷ではなまずを〝神の使い〟として大森宮に祀り、なまず禁食令を出した、
という話で、てっきりなまずが名物かと思ったら食べちゃいけないのか、とびっくり。
一見のどかな田舎ですが、時をさかのぼると縄文時代だったり応仁の乱だったり、
歴史ある場所なんだなあと思っていると、
ぎゃらりぃ畦の近くまでやってきました
車をとめて、ぎゃらりぃ畦に向かいながら、夏炉冬扇さんのご説明を聞きました。
夏炉冬扇さんのブログで見ていた掲示板
(夏炉冬扇さんのブログです)https://karotousen.blog.ss-blog.jp/
旧唐津街道の宿場町だった畦町宿にあるぎゃらりぃなので「畦」がつくのかあ、
そんなところから納得している私ですが、
丁寧な説明付き
歴史が好きな方ならこういう場所を歩きながら見て回るのも楽しそうですね。
のどかな雰囲気
建物老朽化で取り壊してしまったところもありますが、江戸時代に賑やかな
宿場町だった様子を時代劇で見る(主に水戸黄門)風景と重ねて想像しました。
ふくふくの前で待っていると、
ネットで写真が紹介されていたので一方的に顔を知っている夏炉冬扇さんが
迎えにきてくれました。
はじめまして、とご挨拶しながら、夏炉冬扇さんの車に乗ってぎゃらりぃ畦まで
暫しドライブです。
久しぶりに見るマニュアル車を華麗に運転するお姿を助手席から観ていると、
「うつぼさん、思っていたより痩せてますね」と言われました。(笑)
あれだけ呑んで食べているのでもっと巨漢と思われていたようですが、
(痩せてはおらず、やっぱりデブの部類に入ります、誤解無きよう。)
お話上手な夏炉冬扇さんに道中色々とご説明をいただきました。
車窓から見える景色
福津市は縄文時代の遺跡が沢山出てくるそうで、地域によっては家を建てる前など
発掘調査を行ってからでないと工事ができない場合も多いそうですが、
そういう点では昔々から人々が暮らしていたエリアなんですね。
また、途中でなまずの大きなオブジェの前を通ったのですが、
福津市となじみのある生き物が「なまず」で、
https://www.city.fukutsu.lg.jp/kankou/view/spot/1103.html
室町時代に有力守護大名が争った応仁の乱(1467-1477年)で、
西郷出身の社職兼務の武将である藤原興光が、大内家の命で山城国(京都)で合戦の折、
深手を負い、戦場と本陣との間に大河があって渡ることができなかったところ、
大なまずが川面に現われたので、その背中にあった鞍に乗って対岸の本陣に無事帰還、
一命を得たことから、西郷の氏神・大森の御祭神の権化に違いない、
それ以降、西郷ではなまずを〝神の使い〟として大森宮に祀り、なまず禁食令を出した、
という話で、てっきりなまずが名物かと思ったら食べちゃいけないのか、とびっくり。
一見のどかな田舎ですが、時をさかのぼると縄文時代だったり応仁の乱だったり、
歴史ある場所なんだなあと思っていると、
ぎゃらりぃ畦の近くまでやってきました
車をとめて、ぎゃらりぃ畦に向かいながら、夏炉冬扇さんのご説明を聞きました。
夏炉冬扇さんのブログで見ていた掲示板
(夏炉冬扇さんのブログです)https://karotousen.blog.ss-blog.jp/
旧唐津街道の宿場町だった畦町宿にあるぎゃらりぃなので「畦」がつくのかあ、
そんなところから納得している私ですが、
丁寧な説明付き
歴史が好きな方ならこういう場所を歩きながら見て回るのも楽しそうですね。
のどかな雰囲気
建物老朽化で取り壊してしまったところもありますが、江戸時代に賑やかな
宿場町だった様子を時代劇で見る(主に水戸黄門)風景と重ねて想像しました。
夏炉冬扇さんについていくと、
世界一小さな蚕博物館
開けるとお蚕さんが出てきます
まゆこちゃん。(^-^)
蚕というと婆1号が小さいころ、「お蚕様」と呼んで育ててとれた絹の糸を売る、
大事な収入源だったという話を聞いていたので、夏炉冬扇さんの記事を読んで
懐かしい気持ちになりました。
この博物館、もともとは蚕の幼虫を入れる容器を燻蒸消毒するためのものだった
そうですが、今では小さな博物館になっています。
繭から羽化すると蛾なんですよねぇ
(モスラって蛾がモデルになっているんですよね、確か)
桑の木(写真のものは京都産らしいです)
近くには翌日のお祭り(こども山笠)の鉾が入るスペースとかビオトープ
もうすぐぎゃらりぃ畦
塀に使われているブロック?レンガ?は福岡の炭鉱で掘り出されたものを
加工したものという説明を夏炉冬扇さんから聞いたような記憶なのですが
間違っていたら教えてください。<m(__)m>
と、埴輪にカエル、ふくろうに迎えられて、7月展示のポスターを観ながら
中に入ります!
(つづく)
世界一小さな蚕博物館
開けるとお蚕さんが出てきます
まゆこちゃん。(^-^)
蚕というと婆1号が小さいころ、「お蚕様」と呼んで育ててとれた絹の糸を売る、
大事な収入源だったという話を聞いていたので、夏炉冬扇さんの記事を読んで
懐かしい気持ちになりました。
この博物館、もともとは蚕の幼虫を入れる容器を燻蒸消毒するためのものだった
そうですが、今では小さな博物館になっています。
繭から羽化すると蛾なんですよねぇ
(モスラって蛾がモデルになっているんですよね、確か)
桑の木(写真のものは京都産らしいです)
近くには翌日のお祭り(こども山笠)の鉾が入るスペースとかビオトープ
もうすぐぎゃらりぃ畦
塀に使われているブロック?レンガ?は福岡の炭鉱で掘り出されたものを
加工したものという説明を夏炉冬扇さんから聞いたような記憶なのですが
間違っていたら教えてください。<m(__)m>
と、埴輪にカエル、ふくろうに迎えられて、7月展示のポスターを観ながら
中に入ります!
(つづく)
世界一小さな蚕博物館!? うわぁー行ってみたいです。私の虫好きはモスラのおかげかな。
by 溺愛猫的女人 (2024-08-01 18:34)
畦町遺跡は「津日駅」跡で。古代官道のお話なので奈良・平安ですね。
塀は「鉱滓」煉瓦です。官営八幡製鉄のコークスの残滓利用。
この壁には「進駐軍由縁のお話」もあるのですが、オーバーフローと思いお話せず。
スリムでいらっしゃいました。夏場は井戸水が気持ちよし。おすすめすればよかったと、いろいろ後悔しております。
by 夏炉冬扇 (2024-08-01 20:42)
溺愛猫的女人さん、おはようございます。
本当に可愛らしいちっちゃい博物館ですが、かつて養蚕されていたことを
こういう展示からも知ることができました。
福岡にご旅行されるときは訪問先にご検討を。(^-^)
by うつぼ (2024-08-02 08:17)
夏炉冬扇さん、おはようございます。
メモもせず聞いて分かったつもりで頷いておりましたが、あっという間に
記憶は薄れてしまいこんなモヤモヤ記事ですみません。
レンガ、コークス残滓、でしたね。
井戸水、いただけばよかったなあ。。。
by うつぼ (2024-08-02 08:20)
料理も飲み物もみな井戸水使っております。
足を冷やして、顔を拭いてくらいは言えばよかったと…
by 夏炉冬扇 (2024-08-02 21:25)
夏炉冬扇さん、おはようございます。
お水をいただきましたが井戸水だったんですね。
汗だくになった後、奥様から汗拭きシートをいただきましたよ。(^-^)
by うつぼ (2024-08-03 09:18)