青森旅行記2024~三内丸山遺跡編④~ [日本の旅(東北)]
三内丸山遺跡記事、本日と明日の2回で終わらせますので、
皆さん「長すぎる」と思わず広い心で読んでやってください。<m(__)m>
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皆さん「長すぎる」と思わず広い心で読んでやってください。<m(__)m>
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縄文ライフの様子を見学した後は、外の展示に行こうと思ったのですが、
館内、まだ展示コーナーがありましたのでそちらへ先に向かいます。
縄文ビッグウォール 確かにでかいです
高さ6m、幅18mの壁、5,120個の土器片(本物)がちりばめられている壁、
壁のあるところまで階段をおりていったのですが、下にいけばいくほど
土器の年代が遡っていくという、言われなければ気づかない(それは私が悪い)
でも、非常に凝った壁です。
本物土器
こういう壁が作れるのもそれだけ大量の土器が発掘されたからなのでしょうね。
収蔵庫も壮観
さあ、これで外へ、と思ったら、
え、体験?
手先不器用なんですがチャレンジ
縄文ポシェット、土偶、組みひも、ミニ土偶などいろいろコースがあるのですが、
もって帰って楽しそうな、ミニ土偶にしました。
材料は近くのギフトショップで購入してから工房に行くのですが、
ショップのお姉さんに「楽しんでくださいね!」、励まされました。
作り方指南
ボランティアの方が親切に教えてくださるので私でも不安なし。
お手本を見ながら作ります
購入した粘土を棒でちょっと薄く伸ばした後、土偶の型をのせてヘラで形づくって
見本の通りに竹ぐしのようなもので模様をつけたら、最後に残った粘土で顔やおっぱいの
パーツを作って水をつけてから土偶に張り付けて完成。
40分くらいでこんな私(手首骨折で更に手の動きが鈍くなってるのもある⇐言い訳)も
見本に比較的近い感じに作れました。
出来上がった土偶は粘土の入っていた箱に入れて持って帰りましたが、1週間くらいで
粘土の水分も抜けて出来上がり。
私の面倒を見て下さったボランティアのYさん(おばちゃん)がどちらから?と聞いて
くれたので千葉からです、と答えると、「あら、千葉というと加曾利貝塚が有名よね」、
即答されていました。さすが縄文好き。
知っているけれど行ったことがない加曾利貝塚(日本最大級の縄文貝塚)、宿題にします。
(出来上がった土偶は旅の最後にお見せしますのでお楽しみに~♪)
土偶を自分で作った満足感いっぱいになった後は、今度こそ外の展示に向かいます。
建物から少々歩きますが、雪も少ないので意外とラクチンで住居のあるエリアに到着。
まずは上右の写真にある大型竪穴建物の中を見学します。
復元された大型竪穴建物は長さ約32m、幅9.8m、床面積約250㎡と日本最大。
縄文時代の中期後半(紀元前約2800年)のものを復元したそうですが、
住居の他、集会場や共同作業場などの説もあるそうです。
ちなみに、ここまで書いてからご紹介、というのもナンですが、
ブログ友のkouさん、今年のゴールデンウィークにここを訪れていらっしゃいます。
(さすがに雪はありません)https://kou-arium.blog.ss-blog.jp/2024-05-09
私より後に訪れたkouさんの記事から遅れて後手に記事をアップする自分のことを
(雪いっぱいの写真を初夏に書いている自分もどうかしているのは自覚しています(笑))
こうやって記事を書きながら反省しているのですが、かなり昔から後手後手なので、
時系列に書いていると追いつけない、きっとずっと追いつけない、と思っています。(^-^;
上右の写真は「北の谷」。
縄文時代前期(紀元前約3900~3300年)には主にゴミ捨て場として利用されていた
場所で、水分が豊富なため、通常残らないような動物や魚の骨、種子、漆器や木製品、
編み物(館内でみた籠)、寄生虫の卵などの有機質の遺物が良好な状態で出土したので
当時の環境は食生活などが分かったそうです。
って書いていますが、雪深い状態の絵面なのでこれじゃなんだか分かりませんね。(笑)
上は掘立柱建物。
地面に柱穴を掘って柱を立てたもので、地面に炉や床などの跡が見つからないため
高床建物であったと考えられているそうです。
これは竪穴建物。
地面を掘って床を作り、柱を立てて屋根をかけてある建物ですが、
縄文時代中期(紀元前約3000年)の竪穴建物を復元したものだそうです。
雪でよくわからなかったのですが、茅葺き、檜皮葺き、土葺きの3種類が
あるらしく、この写真は茅葺き?みたいです。
意外と中は広め
館内の展示コーナーで見た家族が住むお家が外にあるとまた雰囲気が変わります。
南盛土
入口には遺構表面のコケ等の防止のために内部が暗くなっているので足元注意という
張り紙がありました。
ここは、竪穴建物や穴などを掘った時の土やゴミ、焼けた土や炭、石器や壊れた土器等、
同じ場所に長期間継続して廃棄されたことで小山のように盛り上がったのがこの盛土。
この遺跡には、北盛土、南盛土、西盛土の3ヶ所が確認されていて、北盛土や南盛土では
土偶が特に多く見つかっているという説明が書いてありました。
雪が少なめなので歩くのはさほど困りませんがkouさんの記事を見たら
雪がない時の方が遺跡というか縄文人が住んでいた集落の全体感が分かりやすいような
そんな気持ちになりました。雪のない時にまたいこうかな、という気持になっております。
と屋外の展示も色々見ましたが、この後は一番大きな建物を見ます!
(つづく)
高さ6m、幅18mの壁、5,120個の土器片(本物)がちりばめられている壁、
壁のあるところまで階段をおりていったのですが、下にいけばいくほど
土器の年代が遡っていくという、言われなければ気づかない(それは私が悪い)
でも、非常に凝った壁です。
本物土器
こういう壁が作れるのもそれだけ大量の土器が発掘されたからなのでしょうね。
収蔵庫も壮観
さあ、これで外へ、と思ったら、
え、体験?
手先不器用なんですがチャレンジ
縄文ポシェット、土偶、組みひも、ミニ土偶などいろいろコースがあるのですが、
もって帰って楽しそうな、ミニ土偶にしました。
材料は近くのギフトショップで購入してから工房に行くのですが、
ショップのお姉さんに「楽しんでくださいね!」、励まされました。
作り方指南
ボランティアの方が親切に教えてくださるので私でも不安なし。
お手本を見ながら作ります
購入した粘土を棒でちょっと薄く伸ばした後、土偶の型をのせてヘラで形づくって
見本の通りに竹ぐしのようなもので模様をつけたら、最後に残った粘土で顔やおっぱいの
パーツを作って水をつけてから土偶に張り付けて完成。
40分くらいでこんな私(手首骨折で更に手の動きが鈍くなってるのもある⇐言い訳)も
見本に比較的近い感じに作れました。
出来上がった土偶は粘土の入っていた箱に入れて持って帰りましたが、1週間くらいで
粘土の水分も抜けて出来上がり。
私の面倒を見て下さったボランティアのYさん(おばちゃん)がどちらから?と聞いて
くれたので千葉からです、と答えると、「あら、千葉というと加曾利貝塚が有名よね」、
即答されていました。さすが縄文好き。
知っているけれど行ったことがない加曾利貝塚(日本最大級の縄文貝塚)、宿題にします。
(出来上がった土偶は旅の最後にお見せしますのでお楽しみに~♪)
土偶を自分で作った満足感いっぱいになった後は、今度こそ外の展示に向かいます。
建物から少々歩きますが、雪も少ないので意外とラクチンで住居のあるエリアに到着。
まずは上右の写真にある大型竪穴建物の中を見学します。
復元された大型竪穴建物は長さ約32m、幅9.8m、床面積約250㎡と日本最大。
縄文時代の中期後半(紀元前約2800年)のものを復元したそうですが、
住居の他、集会場や共同作業場などの説もあるそうです。
ちなみに、ここまで書いてからご紹介、というのもナンですが、
ブログ友のkouさん、今年のゴールデンウィークにここを訪れていらっしゃいます。
(さすがに雪はありません)https://kou-arium.blog.ss-blog.jp/2024-05-09
私より後に訪れたkouさんの記事から遅れて後手に記事をアップする自分のことを
(雪いっぱいの写真を初夏に書いている自分もどうかしているのは自覚しています(笑))
こうやって記事を書きながら反省しているのですが、かなり昔から後手後手なので、
時系列に書いていると追いつけない、きっとずっと追いつけない、と思っています。(^-^;
上右の写真は「北の谷」。
縄文時代前期(紀元前約3900~3300年)には主にゴミ捨て場として利用されていた
場所で、水分が豊富なため、通常残らないような動物や魚の骨、種子、漆器や木製品、
編み物(館内でみた籠)、寄生虫の卵などの有機質の遺物が良好な状態で出土したので
当時の環境は食生活などが分かったそうです。
って書いていますが、雪深い状態の絵面なのでこれじゃなんだか分かりませんね。(笑)
上は掘立柱建物。
地面に柱穴を掘って柱を立てたもので、地面に炉や床などの跡が見つからないため
高床建物であったと考えられているそうです。
これは竪穴建物。
地面を掘って床を作り、柱を立てて屋根をかけてある建物ですが、
縄文時代中期(紀元前約3000年)の竪穴建物を復元したものだそうです。
雪でよくわからなかったのですが、茅葺き、檜皮葺き、土葺きの3種類が
あるらしく、この写真は茅葺き?みたいです。
意外と中は広め
館内の展示コーナーで見た家族が住むお家が外にあるとまた雰囲気が変わります。
南盛土
入口には遺構表面のコケ等の防止のために内部が暗くなっているので足元注意という
張り紙がありました。
ここは、竪穴建物や穴などを掘った時の土やゴミ、焼けた土や炭、石器や壊れた土器等、
同じ場所に長期間継続して廃棄されたことで小山のように盛り上がったのがこの盛土。
この遺跡には、北盛土、南盛土、西盛土の3ヶ所が確認されていて、北盛土や南盛土では
土偶が特に多く見つかっているという説明が書いてありました。
雪が少なめなので歩くのはさほど困りませんがkouさんの記事を見たら
雪がない時の方が遺跡というか縄文人が住んでいた集落の全体感が分かりやすいような
そんな気持ちになりました。雪のない時にまたいこうかな、という気持になっております。
と屋外の展示も色々見ましたが、この後は一番大きな建物を見ます!
(つづく)
タグ:青森
私のブログに言及いただき、ありがとうございます。(^^)
縄文ビッグウォール、いいですよね。何も知らずに遠目に見たらボルダリングっぽいですが、一つ一つが土器の破片で大きさも色も形も模様もさまざま。
縄文時代は寒冷化と温暖化の繰り返しがあったようですが、冬は厳しかったでしょうね。土屋根は防寒上有効なのだそうで、寒さの厳しい地域は土葺きが主流になったのかななんて思いました。
by kou (2024-06-08 18:02)
縄文ビッグウォール!!!素晴らしいです(*^^*)
by 溺愛猫的女人 (2024-06-08 20:14)
竪穴式住居の復元モデルはとても興味あります。
作ると人気だろうと思ったり…
土器、収蔵庫にわんさか、2つ3つ、ほしいなぁ。ぎゃらりいに飾りたいという邪な考えにて。
by 夏炉冬扇 (2024-06-08 21:15)
kouさん、こんにちは。
同じところにいっても書く人でこんなに違うんだということを
お伝えしたくて(kouさんの記事はいつも簡潔)リンク張らせて
いただきました。(^^;
これだけの出土量であれば、ビッグウォールのような遊び心のあるものが
つくれるのかもしれませんね。
土葺き、、寒さに有効なんですか。勉強になります。
by うつぼ (2024-06-09 14:06)
溺愛猫的女人さん、こんにちは。
縄文ビッグウォール、実際観ると迫力ありますよー。
青森も美味しく楽しいところですので機会があればぜひ訪れてみてください!
by うつぼ (2024-06-09 14:08)
夏炉冬扇さん、こんにちは。
こういう縄文時代の建物の復元ってたのしいですね。
ぎゃらりぃに土器を飾りたい気持ち、、分かりますが我慢するか、
レプリカで!(^^;
by うつぼ (2024-06-09 14:10)
体験コーナーあるんですね!
ミニ土偶のお手本、なんかちょっとムンクの叫びっぽい。(笑)
姐さんの作ったのも見たかったです~。
by lovin (2024-06-27 11:18)
lovin姐さん、おはようございます。
この手のものは気後れしがちなのですが、貸切状態だったので、
ボランティアの方と楽しくお話しながらつくれました。
私の作品は旅の最後にご紹介しています!
by うつぼ (2024-06-28 08:28)