青森旅行記2023~三沢航空科学館編②~ [日本の旅(東北)]
三沢駅で昨年みたミス・ビードル号の看板で興味を持って訪れた航空科学館で
復元した飛行機を見て(太平洋無着陸横断についても学んで)既に満足しているのですが、
このほかにも楽しい展示や体験コーナーが沢山ありました。
もうワックワクです
ミス・ビードル号がアメリカで作られた飛行機の歴史、という展示ですが、
ここからは国産飛行機の歴史が展示されています。
復元した飛行機を見て(太平洋無着陸横断についても学んで)既に満足しているのですが、
このほかにも楽しい展示や体験コーナーが沢山ありました。
もうワックワクです
ミス・ビードル号がアメリカで作られた飛行機の歴史、という展示ですが、
ここからは国産飛行機の歴史が展示されています。
最初に観たこの飛行機は、国産飛行機による初飛行を果たした、
奈良原式2号機
操縦席が木製の椅子というのも時代を感じますね
設計した奈良原三次さん
日本国内で最初に作られた国産飛行機はこの奈良原さんによって設計されましたが、
1号機は1910年(明治43年)10月30日、戸山ヶ原練兵場(新宿区)での滑走試験で
30㎝浮遊したものの地上を走るだけに終わってしまったため、竹製の1号機を
全木製骨格へと改良を加えた2号機として、1911年(明治44年)5月5日、
所沢飛行試験場(日本最初の飛行場)で高度約4m、距離約60mを飛び、
国産機による最初の飛行記録をつくったそうです。
実際の様子
ライト兄弟の初飛行から7年後の1910年、
徳川好敏大尉や日野熊蔵大尉が飛行したのが日本で最初の動力飛行とされているものの、
それはフランス、ドイツからの輸入飛行機、国産という意味では奈良原さんが設計された
飛行機が国産飛行機では初ということで、この後、国産飛行機がつくっていかれる道筋が
出来たのかなと思いました。
ただ、奈良原さんの紹介文を観たら、鹿児島の男爵家の生まれながら、飛行機開発に
私財を投じて男爵家をつぶしてしまい、一時市井に身を潜めたと書いてありました。
お金がないとこういう開発はなかなかできませんが、私財を投じて男爵家をつぶす、
今こういうところまで没頭するのは難しいかもしれませんね。
奈良原式2号隣にあった飛行機は白戸式旭号
発注した白戸榮之助さん
奈良原式2号機で操縦技術を習得し、飛行団の操縦士として奈良原式4号機鳳号で
有料飛行会や地方巡回飛行などの活動を行い、民間初の職業飛行士となった方だそうです。
青森県の出身で、地元の高等小学校を卒業後、建具職人見習いとして働きながら、
「人が乗るトンボ」づくりに励み、「野原を鳥のように飛ぶ」と吹聴していたそうですが、
その後、軍隊入りした後、上官であった徳川好敏の照会で奈良原氏に弟子入りし、
民間の飛行機養成機関(白戸協同飛行練習所)を開設、白戸式旭号や白戸式巌号(水上機)
を発注製作し、また、朝日新聞との提携で奈良原氏の門下生であった伊藤音次郎氏と
東京ー大阪を定期航路とする東西定期航空会を発足、日本の民間航空の黎明期を拓いた、
という説明が書いてあったのでほほーと読み進めていたのですが、
「東西定期航空会では事故が頻発したことから1923年(大正12年)、
37歳で航空界を退いた」と説明が書いてありました。なんだか切ない。。
野望というか大志に飛行機の性能がついていかなかったということなのだと思いますが、
乗っている人にしてみれば事故が起きるのは怖いですもんね。
ただ、こういう白戸さんのような方々のお陰で今のような安全に乗れる飛行機まで進化した、
ということなのだと思います。(今年は白戸さん引退100年後なんですね)
飛行機の特徴としては、補助翼が垂れ下がっていて風圧で水平になった補助翼を
旋回時に必要な方を引き下げる方式であることと、プロペラ軸にはずみ車をつけて
いることだそうです。高く、長く飛べるように工夫していったことがその後の飛行機の
発展につながっていったということを改めて知ることができました。
グライダー
プライマリー初級用グライダー「HAYABUSA」。
昭和初期、パイロットの素質発掘のための国策として、全国の旧制中学(現在の高校)
約3000校に文部省からプライマリー(初級)グライダー「文部省一型」が配布設置、
その機体設計製作を担当した「前田グライダー」の後継者である前田健氏が
飛行距離を短く抑え簡単に浮く、子供が乗れるグライダーとして「複鷹」という名の
プライマリーグライダーを製作したそうですが、その後、前田氏の製作指導を受けた
日本宇宙少年団みさわ分団、三沢航空科学館ボランティアと職員の手により完成したのが
展示されている「HAYABUSA」で2010年10年、初飛行に成功したと書いてありました。
奈良原式、白戸式からプライマリグライダーまで観ていて思い浮かんだのが
鳥人間コンテスト、でした。(^-^;(日本テレビに刷り込まれている世代です)
続いて視界に入ったのがこの飛行機
戦闘機みたいに見えるけれどなんだろう、と思いながら飛行機前方に移動します。
(つづく)
奈良原式2号機
操縦席が木製の椅子というのも時代を感じますね
設計した奈良原三次さん
日本国内で最初に作られた国産飛行機はこの奈良原さんによって設計されましたが、
1号機は1910年(明治43年)10月30日、戸山ヶ原練兵場(新宿区)での滑走試験で
30㎝浮遊したものの地上を走るだけに終わってしまったため、竹製の1号機を
全木製骨格へと改良を加えた2号機として、1911年(明治44年)5月5日、
所沢飛行試験場(日本最初の飛行場)で高度約4m、距離約60mを飛び、
国産機による最初の飛行記録をつくったそうです。
実際の様子
ライト兄弟の初飛行から7年後の1910年、
徳川好敏大尉や日野熊蔵大尉が飛行したのが日本で最初の動力飛行とされているものの、
それはフランス、ドイツからの輸入飛行機、国産という意味では奈良原さんが設計された
飛行機が国産飛行機では初ということで、この後、国産飛行機がつくっていかれる道筋が
出来たのかなと思いました。
ただ、奈良原さんの紹介文を観たら、鹿児島の男爵家の生まれながら、飛行機開発に
私財を投じて男爵家をつぶしてしまい、一時市井に身を潜めたと書いてありました。
お金がないとこういう開発はなかなかできませんが、私財を投じて男爵家をつぶす、
今こういうところまで没頭するのは難しいかもしれませんね。
奈良原式2号隣にあった飛行機は白戸式旭号
発注した白戸榮之助さん
奈良原式2号機で操縦技術を習得し、飛行団の操縦士として奈良原式4号機鳳号で
有料飛行会や地方巡回飛行などの活動を行い、民間初の職業飛行士となった方だそうです。
青森県の出身で、地元の高等小学校を卒業後、建具職人見習いとして働きながら、
「人が乗るトンボ」づくりに励み、「野原を鳥のように飛ぶ」と吹聴していたそうですが、
その後、軍隊入りした後、上官であった徳川好敏の照会で奈良原氏に弟子入りし、
民間の飛行機養成機関(白戸協同飛行練習所)を開設、白戸式旭号や白戸式巌号(水上機)
を発注製作し、また、朝日新聞との提携で奈良原氏の門下生であった伊藤音次郎氏と
東京ー大阪を定期航路とする東西定期航空会を発足、日本の民間航空の黎明期を拓いた、
という説明が書いてあったのでほほーと読み進めていたのですが、
「東西定期航空会では事故が頻発したことから1923年(大正12年)、
37歳で航空界を退いた」と説明が書いてありました。なんだか切ない。。
野望というか大志に飛行機の性能がついていかなかったということなのだと思いますが、
乗っている人にしてみれば事故が起きるのは怖いですもんね。
ただ、こういう白戸さんのような方々のお陰で今のような安全に乗れる飛行機まで進化した、
ということなのだと思います。(今年は白戸さん引退100年後なんですね)
飛行機の特徴としては、補助翼が垂れ下がっていて風圧で水平になった補助翼を
旋回時に必要な方を引き下げる方式であることと、プロペラ軸にはずみ車をつけて
いることだそうです。高く、長く飛べるように工夫していったことがその後の飛行機の
発展につながっていったということを改めて知ることができました。
グライダー
プライマリー初級用グライダー「HAYABUSA」。
昭和初期、パイロットの素質発掘のための国策として、全国の旧制中学(現在の高校)
約3000校に文部省からプライマリー(初級)グライダー「文部省一型」が配布設置、
その機体設計製作を担当した「前田グライダー」の後継者である前田健氏が
飛行距離を短く抑え簡単に浮く、子供が乗れるグライダーとして「複鷹」という名の
プライマリーグライダーを製作したそうですが、その後、前田氏の製作指導を受けた
日本宇宙少年団みさわ分団、三沢航空科学館ボランティアと職員の手により完成したのが
展示されている「HAYABUSA」で2010年10年、初飛行に成功したと書いてありました。
奈良原式、白戸式からプライマリグライダーまで観ていて思い浮かんだのが
鳥人間コンテスト、でした。(^-^;(日本テレビに刷り込まれている世代です)
続いて視界に入ったのがこの飛行機
戦闘機みたいに見えるけれどなんだろう、と思いながら飛行機前方に移動します。
(つづく)
高度約4m、距離約60m。最初はそんな記録だったんですね。男爵家をつぶす。人生やりがい1番の方ですね。昔は政治家も井戸塀だったのに、今は世襲の「いい仕事」。
by 夏炉冬扇 (2023-03-08 12:04)
>私財を投じて男爵家をつぶす
これぐらいの気構えがないと新しいものを世に生み出すことなんかできないと思います。なんいカッコいい生きざま、惚れ惚れします(*^^*)
by 溺愛猫的女人 (2023-03-08 12:38)
夏炉冬扇さん、おはようございます。
空を飛ぶ、最初の頃は地上から浮く、って感じだったのですね。
そこから技術が進歩して今に至ると思うと、私財を投じてでも飛行機づくりに
取り組んでいただき感謝感謝です。
(政治家の世襲、禁止してほしいものですね)
by うつぼ (2023-03-09 08:18)
溺愛猫的女人さん、おはようございます。
今の時代に私財を投じて世の中のために、というのは難しいのかも
しれませんね。(私欲のために頑張る人は多いですが)
飛行機といえばライト兄弟、のイメージのみでしたので、今回たくさん
学べました。(^-^)
by うつぼ (2023-03-09 08:19)