京都旅行記2022Ⅱ~大徳寺 興臨院編~ [日本の旅(京都)]
特別公開には早く着きすぎたお陰で龍源院、瑞峯院を見ることが出来たので
早起きは三文の徳、と自分に言い聞かせながら、特別公開の1か院目、
興臨院に向かいます。
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綺麗に手入れされた木々を観ながら中へ。
拝観料は600円なのですが、特別公開(聚光院以外)を全部見るなら共通券がお得ですよ、
と受付にいたおじちゃん(ブレザー姿の紳士)に言われて購入しました。
300円お得(1700円)
受付のおじちゃんに、早く来て待ちました?と聞かれたので、
監視カメラで行動を把握されているのかとどきっとしながら、
早く着きすぎたお陰で龍源院、瑞峯院を見学できてよかったこと、
以前、大寺院で精進料理を食べて坐禅体験をしたことがあるものの、
こうやってじっくり見学するのは初めてです、と答えると、
紅葉の時期はものすごく混むからこういう紅葉前とか紅葉後に来るのが
空いてておススメですよ、と言われました。
(紅葉の燃えるような赤を観たいけれどやはり混んでいるんですね。(^-^;)
足利時代後柏原天皇の太永年中(1520年代)、能登の守護畠山左衛門佐義総によって
興臨院が建立され、以後、畠山家の菩提寺となっています。
開祖である大徳寺第八十六世小渓紹怤和尚(仏智大通禅師)は徳望厚く、
塔頭瑞峯院開祖徹岫和尚、正受院開祖清庵、玉雲院開祖天啓和尚等、門下に優秀な
人々が輩出しています。
興臨院の本堂は創建直後に焼失し、すぐ再建されたため、現本堂は天文2年(1533)頃の
ものと言われ、その後、畠山家没後の天正9年(1581)、前田利家公により本堂屋根の修復が
行われて以降、前田家の菩提寺となっています。
方丈
本堂には歴代住職、畠山家、前田家の位牌が祀られているそうです。
方丈前庭
方丈の解体修理冠せ後、資料を基に復元された石庭で、
「昭和の小堀遠州」と言われた作庭家の中根金作氏が担当し、
昔中国の寒山・捨得が生活していた天台山の国清寺の石橋を模して
大石松をあしらい理想的な蓬莱の世界を表現しているそうで、
西方に貝多羅樹(梵語で木の葉の意)が植えられています。
向きを変えるとこんな感じ
貝多羅樹(多分)
方丈裏のお庭
椅子があったので暫し座って苔を眺めました
新緑の季節も緑がきれいでしょうね
茶室
この石
次に訪れた黄梅院に説明があったのでそこで知ったのですが(興臨院では分からず写メ)
茶室の露地に置かれていて、ここから先には進まないように、という目印で
「関守石(せきもりいし)」と呼ばれるものだそうです。
看板ではなくこういう石を置くというのも風流ですね。
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ご注意と札の下がった鐘や秋らしく飾り付けられた手水、地味なのですが
観ていて気持ちが穏やかになります。
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鯉が泳ぐ池の周りもきれいにお手入れされていて(コムラサキもきれいでした)
お借りした洗手間も非常にきれいだったのも感激ポイントです。
お茶室(涵虚亭(かんきょてい))も見学(中には入れないので入口から見るのみ)
したのですが確か撮影禁止だったような、写真に残っていませんでした。
開いてすぐ見学したせいか、人も殆どいなかったのでゆったり見学できましたが、
龍源院の見学時からずっと同じタイミングで見学しているおばちゃんもいて、
おそらくこの後、黄梅院、聚光院、総見院までなんとなく同じペースで見学しそう、
(実際、聚光院を除いておばちゃんの姿が時折視界に入った(^-^;)
そんなことを思いながら靴を履いて外に出ようとすると、受付のおじさんが、
「この後も他の塔頭を見学されるんですよね。そうぞお気をつけて」
と丁寧に声をかけてくれました。こういうお声かけ、旅先だと特に嬉しいですね。
ありがとうございました!とお礼を言って外に出た後は、
最初に拝観した龍源院の隣の黄梅院に向かいます。
(つづく)
早起きは三文の徳、と自分に言い聞かせながら、特別公開の1か院目、
興臨院に向かいます。
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綺麗に手入れされた木々を観ながら中へ。
拝観料は600円なのですが、特別公開(聚光院以外)を全部見るなら共通券がお得ですよ、
と受付にいたおじちゃん(ブレザー姿の紳士)に言われて購入しました。
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受付のおじちゃんに、早く来て待ちました?と聞かれたので、
監視カメラで行動を把握されているのかとどきっとしながら、
早く着きすぎたお陰で龍源院、瑞峯院を見学できてよかったこと、
以前、大寺院で精進料理を食べて坐禅体験をしたことがあるものの、
こうやってじっくり見学するのは初めてです、と答えると、
紅葉の時期はものすごく混むからこういう紅葉前とか紅葉後に来るのが
空いてておススメですよ、と言われました。
(紅葉の燃えるような赤を観たいけれどやはり混んでいるんですね。(^-^;)
足利時代後柏原天皇の太永年中(1520年代)、能登の守護畠山左衛門佐義総によって
興臨院が建立され、以後、畠山家の菩提寺となっています。
開祖である大徳寺第八十六世小渓紹怤和尚(仏智大通禅師)は徳望厚く、
塔頭瑞峯院開祖徹岫和尚、正受院開祖清庵、玉雲院開祖天啓和尚等、門下に優秀な
人々が輩出しています。
興臨院の本堂は創建直後に焼失し、すぐ再建されたため、現本堂は天文2年(1533)頃の
ものと言われ、その後、畠山家没後の天正9年(1581)、前田利家公により本堂屋根の修復が
行われて以降、前田家の菩提寺となっています。
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本堂には歴代住職、畠山家、前田家の位牌が祀られているそうです。
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方丈の解体修理冠せ後、資料を基に復元された石庭で、
「昭和の小堀遠州」と言われた作庭家の中根金作氏が担当し、
昔中国の寒山・捨得が生活していた天台山の国清寺の石橋を模して
大石松をあしらい理想的な蓬莱の世界を表現しているそうで、
西方に貝多羅樹(梵語で木の葉の意)が植えられています。
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次に訪れた黄梅院に説明があったのでそこで知ったのですが(興臨院では分からず写メ)
茶室の露地に置かれていて、ここから先には進まないように、という目印で
「関守石(せきもりいし)」と呼ばれるものだそうです。
看板ではなくこういう石を置くというのも風流ですね。
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ご注意と札の下がった鐘や秋らしく飾り付けられた手水、地味なのですが
観ていて気持ちが穏やかになります。
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鯉が泳ぐ池の周りもきれいにお手入れされていて(コムラサキもきれいでした)
お借りした洗手間も非常にきれいだったのも感激ポイントです。
お茶室(涵虚亭(かんきょてい))も見学(中には入れないので入口から見るのみ)
したのですが確か撮影禁止だったような、写真に残っていませんでした。
開いてすぐ見学したせいか、人も殆どいなかったのでゆったり見学できましたが、
龍源院の見学時からずっと同じタイミングで見学しているおばちゃんもいて、
おそらくこの後、黄梅院、聚光院、総見院までなんとなく同じペースで見学しそう、
(実際、聚光院を除いておばちゃんの姿が時折視界に入った(^-^;)
そんなことを思いながら靴を履いて外に出ようとすると、受付のおじさんが、
「この後も他の塔頭を見学されるんですよね。そうぞお気をつけて」
と丁寧に声をかけてくれました。こういうお声かけ、旅先だと特に嬉しいですね。
ありがとうございました!とお礼を言って外に出た後は、
最初に拝観した龍源院の隣の黄梅院に向かいます。
(つづく)
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