京都旅行記2022Ⅱ~京セラ美術館で「アンディ・ウォーホル・キョウト展」②~ [日本の旅(京都)]
ウォーホルの商業イラストを見た後は、京都とウォーホルです。
【第2章】ウォーホルと日本そして京都
ウォーホルの長年にわたる日本への関心やその始まりをたどります。
1956年、ウォーホルは世界一周旅行に出発しますが、この贅沢な企ては彼にとって
初めての海外体験であり、おそらく仕事は無関係の唯一の海外旅行。
いわば純粋な休暇であり、若きウォーホルはこの旅行をスケッチブックに記録し、
旅のパートナーであるチャールズ・リザンビーは、観光名所、とりわけ京都のシーンを
写真に収めています。
ここに並ぶのは京都と東京訪問に由来するドローイングや写真、地図や思い出の品々。
ウォーホルはその後1974年にも日本を訪れ、その豊かな文化に影響を受けました。
日本からの依頼で制作された生け花をモチーフとする作品群では、
1950年代に初来日した頃に用いた古典的な手彩色の手法を応用しています。
ジェームズ・ディーン
日本の映画館で観て描いた作品だそうです。
漢字の形に興味を持って描いたのかな、なんて想像しながら鑑賞しました。
葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を引用して描かれた「波」という作品。
浮世絵に影響を受けた海外のアーティストは多いのですが、ウォーホルも
こういう作品に影響を受けて作品を描いていたのは今回初めて知りました。
「エンパイア」
これは世界一周旅行とは関係ない作品ですが、固定カメラでエンパイア・ステート・ビルを
6時間撮影したものを展示会では50分に凝縮(抜粋)して展示されていました。
撮影翌年の1965年に公開されたときはスローモーションで投影したので上映時間が8時間強、
こんなところも型破りでウォーホルらしいのかもしれませんね。
撮影当時「エンパイア・ステート・ビルは、スターなんだ!」と叫んだというエピソードも
説明に書いてありましたが、NYでこのビルが一番美しく存在感があると私も思います。
1956年の日本旅行でのスケジュール
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
6月21日(木)朝8:45にJAL603で羽田空港に到着後、帝国ホテルへ移動
6月22日(金)東京観光
6月23日(土)日光に移動し観光(中禅寺湖、華厳の滝含む)
6月24日(日)東京に戻る
6月25日(月)京都へ移動し(7時間)都ホテルに宿泊
6月26日(火)京都観光
6月27日(水)奈良まで足をのばし、京都に戻る
6月28日(木)京都から熱海に移動(5時間)熱海の旅館(和風のホテル)に宿泊
6月29日(金)箱根湖、十国峠まで足をのばす
6月30日(土)東京に戻る
7月 1日(日)鎌倉まで足をのばす
7月 2日(月)羽田に移動し、3日午前1時に香港行PAA1に乗る
7月 3日(火)朝8:45香港着
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この旅程表は来日前に作成されたもので、ウォーホルと同行したリザンビーが
この旅程表通りに行動していたわけではないそうです。
実際6月24日の消印で母ジュリアに京都から手紙を送っているため、
日光をスキップしてすぐ京都に行った可能性もあるみたいですね。
京都まで7時間(まだ新幹線がなかった頃だから)、とか、
次の渡航先の香港へは今は亡きパンナムで移動、時代を感じます。
皇居前で記念撮影
清水寺と山鉾巡業、その場のスケッチではなく、日本を離れてから描いた作品です。
(日本滞在の1か月後くらいの日付が書いてある)
JALのコースターやリーフレットなど
ウォーホル自身、こういう思い出を大事にとっておく性格だったそうで、
これらを保存していたタイムカプセルという名前の箱が600もあったというエピソードに
私自身も色々なチケットや旅の思い出をずっと持っていたのをここ数年だ殆ど捨てて
しまったことを(断捨離)若干後悔してしまいました。
舞妓さんの絵もウォーホルが描くと和の中にポップな感じがします。
京都でウォーホルが訪れた場所の紹介
都ホテルに宿泊し、平安神宮、清水寺、北野天満宮、三十三間堂、桂離宮、龍安寺、
京都御所、山中商会京都支店、流響院(旧織宝苑)を訪れたと書いてありましたが、
山中商会?と思ったら、特設サイトのニュースで理由が分かりました。
https://www.andywarholkyoto.jp/news/?category=column&id=544911
戦前からニューヨークにも支店があった古美術商をウォーホルが訪れ
屏風6点を73,000円で購入したと書かれた手紙がタイムカプセルに残されていた、
というのを観て、京都の美しさに触れながら日本の古美術もたくさん購入されて
本当に楽しまれていたんだろうな、と京都をめぐるウォーホルの姿を想像しました。
京都を満喫中のウォーホル
徹子!
これは1974年に来日されたときのものだそうですが、
徹子さんとウォーホルが会っていたとはびっくりです。
生け花
第2章の説明にもあったとおり、1974年に来日した時の作品ですね。
初来日の際の舞妓さんと比べると彩色も淡く静かな感じ。
私自身は生け花の心得はないのですが、生け花も芸術でウォーホル自身も
刺激を受けたのでしょうね。
ここまででもかなりの見ごたえのある展示でしたが、
この後は、私がウォーホルを初めて見たポップアートの時代に進みます。
(つづく)
【第2章】ウォーホルと日本そして京都
ウォーホルの長年にわたる日本への関心やその始まりをたどります。
1956年、ウォーホルは世界一周旅行に出発しますが、この贅沢な企ては彼にとって
初めての海外体験であり、おそらく仕事は無関係の唯一の海外旅行。
いわば純粋な休暇であり、若きウォーホルはこの旅行をスケッチブックに記録し、
旅のパートナーであるチャールズ・リザンビーは、観光名所、とりわけ京都のシーンを
写真に収めています。
ここに並ぶのは京都と東京訪問に由来するドローイングや写真、地図や思い出の品々。
ウォーホルはその後1974年にも日本を訪れ、その豊かな文化に影響を受けました。
日本からの依頼で制作された生け花をモチーフとする作品群では、
1950年代に初来日した頃に用いた古典的な手彩色の手法を応用しています。
ジェームズ・ディーン
日本の映画館で観て描いた作品だそうです。
漢字の形に興味を持って描いたのかな、なんて想像しながら鑑賞しました。
浮世絵に影響を受けた海外のアーティストは多いのですが、ウォーホルも
こういう作品に影響を受けて作品を描いていたのは今回初めて知りました。
「エンパイア」
これは世界一周旅行とは関係ない作品ですが、固定カメラでエンパイア・ステート・ビルを
6時間撮影したものを展示会では50分に凝縮(抜粋)して展示されていました。
撮影翌年の1965年に公開されたときはスローモーションで投影したので上映時間が8時間強、
こんなところも型破りでウォーホルらしいのかもしれませんね。
撮影当時「エンパイア・ステート・ビルは、スターなんだ!」と叫んだというエピソードも
説明に書いてありましたが、NYでこのビルが一番美しく存在感があると私も思います。
1956年の日本旅行でのスケジュール
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
6月21日(木)朝8:45にJAL603で羽田空港に到着後、帝国ホテルへ移動
6月22日(金)東京観光
6月23日(土)日光に移動し観光(中禅寺湖、華厳の滝含む)
6月24日(日)東京に戻る
6月25日(月)京都へ移動し(7時間)都ホテルに宿泊
6月26日(火)京都観光
6月27日(水)奈良まで足をのばし、京都に戻る
6月28日(木)京都から熱海に移動(5時間)熱海の旅館(和風のホテル)に宿泊
6月29日(金)箱根湖、十国峠まで足をのばす
6月30日(土)東京に戻る
7月 1日(日)鎌倉まで足をのばす
7月 2日(月)羽田に移動し、3日午前1時に香港行PAA1に乗る
7月 3日(火)朝8:45香港着
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この旅程表は来日前に作成されたもので、ウォーホルと同行したリザンビーが
この旅程表通りに行動していたわけではないそうです。
実際6月24日の消印で母ジュリアに京都から手紙を送っているため、
日光をスキップしてすぐ京都に行った可能性もあるみたいですね。
京都まで7時間(まだ新幹線がなかった頃だから)、とか、
次の渡航先の香港へは今は亡きパンナムで移動、時代を感じます。
皇居前で記念撮影
清水寺と山鉾巡業、その場のスケッチではなく、日本を離れてから描いた作品です。
(日本滞在の1か月後くらいの日付が書いてある)
JALのコースターやリーフレットなど
ウォーホル自身、こういう思い出を大事にとっておく性格だったそうで、
これらを保存していたタイムカプセルという名前の箱が600もあったというエピソードに
私自身も色々なチケットや旅の思い出をずっと持っていたのをここ数年だ殆ど捨てて
しまったことを(断捨離)若干後悔してしまいました。
舞妓さんの絵もウォーホルが描くと和の中にポップな感じがします。
京都でウォーホルが訪れた場所の紹介
都ホテルに宿泊し、平安神宮、清水寺、北野天満宮、三十三間堂、桂離宮、龍安寺、
京都御所、山中商会京都支店、流響院(旧織宝苑)を訪れたと書いてありましたが、
山中商会?と思ったら、特設サイトのニュースで理由が分かりました。
https://www.andywarholkyoto.jp/news/?category=column&id=544911
戦前からニューヨークにも支店があった古美術商をウォーホルが訪れ
屏風6点を73,000円で購入したと書かれた手紙がタイムカプセルに残されていた、
というのを観て、京都の美しさに触れながら日本の古美術もたくさん購入されて
本当に楽しまれていたんだろうな、と京都をめぐるウォーホルの姿を想像しました。
京都を満喫中のウォーホル
徹子!
これは1974年に来日されたときのものだそうですが、
徹子さんとウォーホルが会っていたとはびっくりです。
生け花
第2章の説明にもあったとおり、1974年に来日した時の作品ですね。
初来日の際の舞妓さんと比べると彩色も淡く静かな感じ。
私自身は生け花の心得はないのですが、生け花も芸術でウォーホル自身も
刺激を受けたのでしょうね。
ここまででもかなりの見ごたえのある展示でしたが、
この後は、私がウォーホルを初めて見たポップアートの時代に進みます。
(つづく)
タグ:京都
旅の思い出、ワタシもけっこう捨てられないタイプですが、
これ、この後どうするの?って、最近は写真にとってデジタル保存、
で、元は捨てるようにしてます。
でもこういうの見るとやっぱり実物、って思っちゃいますね。
by lovin (2022-10-29 11:26)
lovin姐さん、こんばんは。
私もなんでもとっておく性格だったのが最近は捨て捨て大作戦的な
断捨離をしています。
写真はアルバムをなんとかしないと、と思っていますが、デジタル化せずに
一イベント数枚程度であとは捨てる、って感じかなと思っています。
ウォーホル先生も没後にこんな形でカプセルの中身を展示会で披露されるとは
思っていなかったでしょうね。(^-^;
by うつぼ (2022-10-31 20:50)