京都旅行記2022Ⅱ~京セラ美術館で「アンディ・ウォーホル・キョウト展」①~ [日本の旅(京都)]
どしゃ降りの中歩いて到着したのが、京セラ美術館。
正面から撮らずこんな角度からのみ撮影
旅行の計画を立てるときに旅先の美術館や博物館で何か面白そうなところがあるか
調べるのですが、今回は大好きなアンディ・ウォーホルの展示があるというので
事前にネットで予約しました。
(特設サイト)https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20220917-20230212
ちなみに巡回展ではなく、日本では京都のみでの開催です。
予約した時刻の30分前についてしまったのでスタッフの方に聞いてみたのですが、
混雑しているのでお時間までお待ちくださいと言われました。
確かに人気ありますし(若い人が物凄く多いのが印象的でした)
休日だったので予約枠いっぱいだったのでしょうね。
とはいえ、実際は間の10分くらい前から並んで入れたので待ったのは20分くらい。
東京の美術館のように事前に行列させることもなく、ちょっと前に並んだら
デジタルチケットの予約時刻だけチェックしてすぐ入れてくれるのが好印象でした。マリリン~
(マリリン、日本初公開の作品だそうです)
展示エリアへ歩く途中で見えた景色
今回、フラッシュ無しであれば撮影可だったので殆どの作品を撮影しました。
(こんな機会、滅多にありませんから!)
旅行の計画を立てるときに旅先の美術館や博物館で何か面白そうなところがあるか
調べるのですが、今回は大好きなアンディ・ウォーホルの展示があるというので
事前にネットで予約しました。
(特設サイト)https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20220917-20230212
ちなみに巡回展ではなく、日本では京都のみでの開催です。
予約した時刻の30分前についてしまったのでスタッフの方に聞いてみたのですが、
混雑しているのでお時間までお待ちくださいと言われました。
確かに人気ありますし(若い人が物凄く多いのが印象的でした)
休日だったので予約枠いっぱいだったのでしょうね。
とはいえ、実際は間の10分くらい前から並んで入れたので待ったのは20分くらい。
東京の美術館のように事前に行列させることもなく、ちょっと前に並んだら
デジタルチケットの予約時刻だけチェックしてすぐ入れてくれるのが好印象でした。マリリン~
(マリリン、日本初公開の作品だそうです)
展示エリアへ歩く途中で見えた景色
今回、フラッシュ無しであれば撮影可だったので殆どの作品を撮影しました。
(こんな機会、滅多にありませんから!)
アンディ・ウォーホルといえばキャンベルのスープ缶で知った私ですが、
今回の展示会のタイトルにもなっている京都とウォーホル、については良く知らず、
どういう作品があるのかな、という興味がありました。
(とりあえずwikiも)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%AB
最近、美術館でこういう展示を見るときは、画家の人生の流れとともにどう画風が変わって
いくのか、というのを観るのが楽しいと思えるようになったので、ウォーホールについても
キャンベルスープ缶より前、からキャンベルスープ缶を経て晩年までの変化をこの展示会で
感じることができました。
【第1章】ピッツバーグからポップ前夜のニューヨークへ
1950年代から60年代にかけて時代の寵児として活躍した商業イラストレーター時代の
ウォーホルの紹介。
アメリカのペンシルヴァニア州ピッツバーグで生まれ育ったアンドリュー・ウォーホラは、
地元のカーネギー工科大学(現在はカーネギーメロン大学)で絵画デザインを学び、
1949年に卒業後すぐニューヨークへ。アンディ・ウォーホルとして自己変身を遂げ、
出版や広告業界で働くクリエイティブな才能に溢れた性的少数者のエリートの間で
頂点を極めていきます。
当時のウォーホルのイラストに特徴的なスタイルは、単純な版画にも似た
「プロテッド・ライン(にじみ線)」であり、同じ絵柄をもとに色づけや装飾を変える
ことで複数のバージョンを生み出しました。
これらの軽妙洒脱なイラストは、『グラマー』誌や『ハーパーズ・バザー』誌の誌面を
飾り、自動車メーカーのキャデラックI・ミラー.・シューズ社の広告に使われました。
また、この章では、商業イラストの珍しい例として、金箔や銀箔を用いた初期の作品も
紹介しています。美術品における金銀の使用は何世紀にも及んでいますが、少年時代に
通った東方カトリック教会の宗教画や、1956年の世界一周旅行で訪れたアジア諸国の
美術にも影響されたのかもしれません。
(上記含め今後の章の内容は展示会に掲示されていたものです)
(上右の「孔雀」は日本初公開)
ウォーホルは生涯を通じてイメージの反復を実験的に試みていたそうですが、
軽快なスタンプ模様の多くは、鳥や星、果物、花などの自然から着想していたとのこと。
スタンプを押すことで手描きのイラストに質感や動きが加わり遊び心の要素も生まれ、
上右の"I LOVE YOU SO"のドローイングには赤いハート模様の反復とウォーホルの
母ジュリアによるレタリングが見られます。
当時の作品にある文字のほとんどは母の手によるものだったと説明がありました。
にゃぁ
ウォーホルの猫の絵は知っていましたが、この時代のウォーホル作品は
温かい雰囲気やウォーホルのアイデアを感じるものの、やはりどこか商業的な
イメージを感じるイラストだと思いました。(実際商業イラストですし)
ニューヨークにやってきたウォーホルの作品を観た後は、
世界一周旅行で来日し、京都を訪れたウォーホールに関する展示に続きます。
(つづく)
今回の展示会のタイトルにもなっている京都とウォーホル、については良く知らず、
どういう作品があるのかな、という興味がありました。
(とりあえずwikiも)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%AB
最近、美術館でこういう展示を見るときは、画家の人生の流れとともにどう画風が変わって
いくのか、というのを観るのが楽しいと思えるようになったので、ウォーホールについても
キャンベルスープ缶より前、からキャンベルスープ缶を経て晩年までの変化をこの展示会で
感じることができました。
【第1章】ピッツバーグからポップ前夜のニューヨークへ
1950年代から60年代にかけて時代の寵児として活躍した商業イラストレーター時代の
ウォーホルの紹介。
アメリカのペンシルヴァニア州ピッツバーグで生まれ育ったアンドリュー・ウォーホラは、
地元のカーネギー工科大学(現在はカーネギーメロン大学)で絵画デザインを学び、
1949年に卒業後すぐニューヨークへ。アンディ・ウォーホルとして自己変身を遂げ、
出版や広告業界で働くクリエイティブな才能に溢れた性的少数者のエリートの間で
頂点を極めていきます。
当時のウォーホルのイラストに特徴的なスタイルは、単純な版画にも似た
「プロテッド・ライン(にじみ線)」であり、同じ絵柄をもとに色づけや装飾を変える
ことで複数のバージョンを生み出しました。
これらの軽妙洒脱なイラストは、『グラマー』誌や『ハーパーズ・バザー』誌の誌面を
飾り、自動車メーカーのキャデラックI・ミラー.・シューズ社の広告に使われました。
また、この章では、商業イラストの珍しい例として、金箔や銀箔を用いた初期の作品も
紹介しています。美術品における金銀の使用は何世紀にも及んでいますが、少年時代に
通った東方カトリック教会の宗教画や、1956年の世界一周旅行で訪れたアジア諸国の
美術にも影響されたのかもしれません。
(上記含め今後の章の内容は展示会に掲示されていたものです)
(上右の「孔雀」は日本初公開)
ウォーホルは生涯を通じてイメージの反復を実験的に試みていたそうですが、
軽快なスタンプ模様の多くは、鳥や星、果物、花などの自然から着想していたとのこと。
スタンプを押すことで手描きのイラストに質感や動きが加わり遊び心の要素も生まれ、
上右の"I LOVE YOU SO"のドローイングには赤いハート模様の反復とウォーホルの
母ジュリアによるレタリングが見られます。
当時の作品にある文字のほとんどは母の手によるものだったと説明がありました。
にゃぁ
ウォーホルの猫の絵は知っていましたが、この時代のウォーホル作品は
温かい雰囲気やウォーホルのアイデアを感じるものの、やはりどこか商業的な
イメージを感じるイラストだと思いました。(実際商業イラストですし)
ニューヨークにやってきたウォーホルの作品を観た後は、
世界一周旅行で来日し、京都を訪れたウォーホールに関する展示に続きます。
(つづく)
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