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映画「アンネ・フランクと旅する日記」を観る [映画(あ行)]

昔読んだアンネの日記のことを思い出し映画館へ観に行きました。
アンネ.jpg
あらすじはYahoo!映画さんより。

オランダ・アムステルダムにある博物館アンネ・フランクの家には、
オリジナル版のアンネの日記が保管されている。
ある嵐の晩、その日記の文字が突然動き始め、アンネの架空の友人キティーが
現代のオランダに現れる。
時空を飛び越えたことがわからず、自分は1944年にいると思っている彼女は、
親友のアンネを捜してアムステルダムの街をめぐる。


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過去から学ばない、学べない現代。

観ていて中盤くらいから終わるまで、ずっとそんな気持ちで観ていました。

アンネの日記 増補新訂版

アンネの日記 増補新訂版

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/06/27
  • メディア: Kindle版
私と同年代の人は小学生や中学生の頃に読んだことがあると思いますが、
何が書いてあったか今となっては記憶なく、アンネがユダヤ人という理由で
隠し部屋に潜み、見つかって収容所に送られて若い命を閉じた、ということしか
分からないまま今作を鑑賞しましたが、アンネの日記を話の主軸におきながら、
実のところそれが伝えたいことではなく、
日記から飛び出たキティー(アンネの空想の友達)が現在のオランダで知る、
過去と現代、根本的なところは変わっていない、ということを伝えたい、
そういう映画なのだと思います。

邦題は完全にミスリードで、日記は旅するというよりは、外に飛び出したキティに
連れまわされている感じで(日記と一緒にいないとキティが消えちゃうから)、
日記が消えて町中というか国内が大騒ぎになったときに、
原題(”Where is Anne Frank?")のフレーズが報じられる、という流れなので
邦題を見て、うわー、楽しそうな映画かな?と思って観た人には、あれ?という
違和感を感じるかもしれません。

映画レビューで作中のアンネが好きになれない、というコメントも見たのですが、
アンネ自身も思春期の自分が書いた日記が没後に本となって世界各国の人に
読まれるなんて思っていませんし、収容所から終戦後に無事戻ってきたら
日記を自ら公開することもなかったでしょうし(鍵付きの日記だったし)
日記は負の感情や悲しみを書いて気持ちを落ち着ける場所だと思っているので、
(昨年破り捨てた私の日記などドロドロ真っ黒過ぎてもっとひどい(笑))
アンネ自身に共感できなくてもそれは人それぞれ、それが原因で映画の印象が
悪くなるならちょっと損をしているかもしれません。

アンネが自分の名前を冠した図書館や博物館、ホールを作ってほしかったのか、
(と考えると、この映画に自分の日記を使われたこともアンネ自身納得できない
 かもしれませんね。)
偉人や大統領などの名前を空港や通りなどにつける欧米ではごく普通ながら
1914年から現在にやってきたキティがアンネの銅像も含めてアンネの名前の
ついた施設がたくさんあって驚く様子を前半で描きながら、
自分がいる時代がアンネが生きていた時代からずっと後のことだと気づいて
アンネがその後どうなったのか調べていくうちに、知り合った難民の子供たちの
境遇と重ねていく、そこから、過去のホロコーストと現在の難民問題、
少数民族を悪として民族浄化という名のもとに土地から追い出す、殺戮する、
難民の子供たち、スリや盗みをはたらいたりするのはよくありませんが、
(アンネの家でスラれるのが日本人でちょっとそこは気分悪かったけれど)
アフリカの故郷からどうやってオランダまでたどり着いたか語る場面、
オランダ以外の国々で、難民申請して断られたという場面を見て、
命からがら逃げてきているのに酷いと思う一方、
これらの国々にも受け入れに限界があるのは分かりますし、
どちらの立場で観るかによって考え方は真逆になると思います。

鑑賞したころ、ロシアによるウクライナ攻撃が始まっていましたが、
歴史から学ぶ気持ちがあればこういうことも起きないのではないか、
自分自身も過去や歴史から学んで行動できているのか、テレビで報じられる
ウクライナの惨状を映画に重ね合わせてみている自分もおりましたが、
過去を知り、自分にできることは何か、小さいことでもできることはあるのでは、
そんな気持ちになった「アンネ・フランクと旅する日記」でありました。



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