愛媛旅行記2020~遊子水荷浦段畑編~ [チームSの旅]
朝から珍事盛りだくさんの凸凹神堂を見学して、
なんだか変なテンションになってしまった(笑)チームS旅、
勢いがついて前進あるのみ、と、三浦半島(←愛媛にもあると知りビックリ)へ。
段々畑を見に行きます。(^-^)
なんだか変なテンションになってしまった(笑)チームS旅、
勢いがついて前進あるのみ、と、三浦半島(←愛媛にもあると知りビックリ)へ。
段々畑を見に行きます。(^-^)
うねうねと続く道
目的地
目的地
海岸線をずっと走るのでドライバーのけーすけ兄、大変そうですが、
結局旅の間ずっと運転してくれて(ペーパードライバーでごめんなさい)感謝。
もうすぐ到着
だんだん茶屋
結局旅の間ずっと運転してくれて(ペーパードライバーでごめんなさい)感謝。
もうすぐ到着
だんだん茶屋
食事も休憩も出来て観光案内所も併設されています。
穏やかな海
振り返れば段々畑
あれ?ホームページで見たときは緑の葉っぱが茂っていたのに、
目の前に見える段々畑はなんだか茶色っていうか灰色っていうか。(-_-メ)
なんか時期的に収穫直後みたいな感じなのかもしれませんね。
穏やかな海
振り返れば段々畑
あれ?ホームページで見たときは緑の葉っぱが茂っていたのに、
目の前に見える段々畑はなんだか茶色っていうか灰色っていうか。(-_-メ)
なんか時期的に収穫直後みたいな感じなのかもしれませんね。
トンビが至近で飛んでいてちょっとホラー
(狙われるんじゃないかと海のトンビをみると警戒する私)湾沿いの畑段々していますが、
段々畑かと思ったらこのあたりの地域では段畑(だんばた)と呼ぶそうで、
現在はNPO法人の段畑を守る会によって管理されているそうです。
(NPO法人段畑を守ろう会)http://www.danbata.jp/
この段畑を守ろう会のホームページからかいつまんで説明しますと、
遊子水荷浦段畑(ゆすみずがうらだんばた)と読むこの段々畑、
江戸時代の終わりごろ、稲作に必要な土地が少ないことから山の斜面を開墾し、
雑穀を作っていたそうですが、人口が増えたことでサツマイモの栽培に切り替え、
明治から大正時代には養蚕に必要な桑の栽培へ切替ていくことで、
養蚕で得た収入で段々畑を石垣化したり家の改修を行ったそうです。
そんな養蚕も昭和の初めには下り坂、段々畑のある遊子村も負債をかかえて、
男性は漁(鰯網漁)、女性と老人は畑仕事を行うようになって、
再びサツマイモを栽培して(食用以外にお酒の原料用にも)出荷が盛んになったものの、
戦後の昭和30年代にサツマイモ価格大暴落、漁も不良続きで再び村は苦しい事態に。
そこでジャガイモ栽培したところ高値で売れて大繁盛。
が、昭和30年代後半から始めた真珠やハマチの養殖が軌道にのって大発展、
一方、段々畑は30㌶から2㌶へ縮小していきました。。(まあそうなりますよね)
と大発展した養殖産業も冷え込み、平成12年に地元有志がNPO法人段畑を守ろう会を結成し、
段々畑の復旧と保存に取り組んでいるそうです。
ドラマチックな歴史をもつ段々畑です。
この写真は昭和初めころのものかと思われます。
遊子は魚の楽天地
(漁で水揚げされるお魚さんにとって楽天地なのか謎ですが(^-^;)
段畑を守ろう会が運営する茶屋のメニュー
ここでお昼にする?と話したのですが朝ごはんから時間が経っていないので
残念ながら鯛めしにも興味がありましたがパスしました。
というわけで登ります
階段近くにおばあちゃん
こんにちはー、と通り過ぎるとき挨拶したらちょっとびっくりされました。(-_-メ)
完熟しちゃったゴーヤが生っていました
荷物を運ぶコンベヤかな結構な迫力
高所が苦手なsnorita姐はおそるおそる歩いていました。。
トンビ 意外と大きい
石垣で支えて崩れにくくしているんですね。
下から見たときより一つ一つの畑、意外と面積があるんだなと思いました。
人もこれで移動できるみたい
こういうものがないときは天秤棒で荷物を運んで重労働だったんでしょうね。
現在は、焼酎用のジャガイモ栽培がメインとNPO法人のホームページに書いてありましたが
人や物を運ぶ機械があってもこれだけの畑を管理するのは大変だろうな。
民宿の看板
畑のオーナー制度もあるそうなのでこうやって畑のオーナーになって
栽培できるようです。(近所の小学校の区画もありました)
緑がなくて少々残念急です
山のない千葉といえば、いたるところ平たいので田んぼか畑、みたいな実家近辺と比べて、
作物を育てる平らな土地が少ない地域だと、こうやって少しでも日当たりのよい土地を
開墾しようとご苦労されたんだなあ、と、あまりにもアップダウンの激しい村の
歴史を読んでしみじみ感じました。
畑から見る海は
静かできれいです
けーすけ兄、低姿勢でsnorita姐を撮影中
訪れることができてよかったです
20分くらいの段々畑ぶらぶら歩きを終了し下におりてきたら、
オーナーの看板があった民宿
野菜販売美味しそう
でもさつまいもをもって帰るのは重いかなと諦めて(酒瓶はもって帰るのに(笑))
ちっちゃいかぼちゃを一つ購入
自宅でレンチンしていただきましたが、甘さは少ないもののホックリと美味でした。
にゃぁ
段々畑というと棚田みたいなイメージだったのですが、
段々畑は傾斜地に作った耕作地、棚田は同じく傾斜地に作った稲作地なんですね。
実際に見る機会はなかなかないのですが、こうやって来てみて歴史も知ることで
人々の工夫とご努力を知るよいきっかけになりました。
と段々畑を楽しんだ後は、松山に向かいながら珍旅を続けます!
(つづく)
(狙われるんじゃないかと海のトンビをみると警戒する私)湾沿いの畑段々していますが、
段々畑かと思ったらこのあたりの地域では段畑(だんばた)と呼ぶそうで、
現在はNPO法人の段畑を守る会によって管理されているそうです。
(NPO法人段畑を守ろう会)http://www.danbata.jp/
この段畑を守ろう会のホームページからかいつまんで説明しますと、
遊子水荷浦段畑(ゆすみずがうらだんばた)と読むこの段々畑、
江戸時代の終わりごろ、稲作に必要な土地が少ないことから山の斜面を開墾し、
雑穀を作っていたそうですが、人口が増えたことでサツマイモの栽培に切り替え、
明治から大正時代には養蚕に必要な桑の栽培へ切替ていくことで、
養蚕で得た収入で段々畑を石垣化したり家の改修を行ったそうです。
そんな養蚕も昭和の初めには下り坂、段々畑のある遊子村も負債をかかえて、
男性は漁(鰯網漁)、女性と老人は畑仕事を行うようになって、
再びサツマイモを栽培して(食用以外にお酒の原料用にも)出荷が盛んになったものの、
戦後の昭和30年代にサツマイモ価格大暴落、漁も不良続きで再び村は苦しい事態に。
そこでジャガイモ栽培したところ高値で売れて大繁盛。
が、昭和30年代後半から始めた真珠やハマチの養殖が軌道にのって大発展、
一方、段々畑は30㌶から2㌶へ縮小していきました。。(まあそうなりますよね)
と大発展した養殖産業も冷え込み、平成12年に地元有志がNPO法人段畑を守ろう会を結成し、
段々畑の復旧と保存に取り組んでいるそうです。
ドラマチックな歴史をもつ段々畑です。
この写真は昭和初めころのものかと思われます。
遊子は魚の楽天地
(漁で水揚げされるお魚さんにとって楽天地なのか謎ですが(^-^;)
段畑を守ろう会が運営する茶屋のメニュー
ここでお昼にする?と話したのですが朝ごはんから時間が経っていないので
残念ながら鯛めしにも興味がありましたがパスしました。
というわけで登ります
階段近くにおばあちゃん
こんにちはー、と通り過ぎるとき挨拶したらちょっとびっくりされました。(-_-メ)
完熟しちゃったゴーヤが生っていました
荷物を運ぶコンベヤかな結構な迫力
高所が苦手なsnorita姐はおそるおそる歩いていました。。
トンビ 意外と大きい
石垣で支えて崩れにくくしているんですね。
下から見たときより一つ一つの畑、意外と面積があるんだなと思いました。
人もこれで移動できるみたい
こういうものがないときは天秤棒で荷物を運んで重労働だったんでしょうね。
現在は、焼酎用のジャガイモ栽培がメインとNPO法人のホームページに書いてありましたが
人や物を運ぶ機械があってもこれだけの畑を管理するのは大変だろうな。
民宿の看板
畑のオーナー制度もあるそうなのでこうやって畑のオーナーになって
栽培できるようです。(近所の小学校の区画もありました)
緑がなくて少々残念急です
山のない千葉といえば、いたるところ平たいので田んぼか畑、みたいな実家近辺と比べて、
作物を育てる平らな土地が少ない地域だと、こうやって少しでも日当たりのよい土地を
開墾しようとご苦労されたんだなあ、と、あまりにもアップダウンの激しい村の
歴史を読んでしみじみ感じました。
畑から見る海は
静かできれいです
けーすけ兄、低姿勢でsnorita姐を撮影中
訪れることができてよかったです
20分くらいの段々畑ぶらぶら歩きを終了し下におりてきたら、
オーナーの看板があった民宿
野菜販売美味しそう
でもさつまいもをもって帰るのは重いかなと諦めて(酒瓶はもって帰るのに(笑))
ちっちゃいかぼちゃを一つ購入
自宅でレンチンしていただきましたが、甘さは少ないもののホックリと美味でした。
にゃぁ
段々畑というと棚田みたいなイメージだったのですが、
段々畑は傾斜地に作った耕作地、棚田は同じく傾斜地に作った稲作地なんですね。
実際に見る機会はなかなかないのですが、こうやって来てみて歴史も知ることで
人々の工夫とご努力を知るよいきっかけになりました。
と段々畑を楽しんだ後は、松山に向かいながら珍旅を続けます!
(つづく)
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