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映画「バルーン 奇蹟の脱出飛行」を観る [映画(は行)]

予告編を見て気になっていた映画です。

baloon.jpg

あらすじはYahoo!映画さんより。

1979年、東ドイツ。テューリンゲン州に暮らす電気技師のペーターは、
妻と2人の息子と共に手作りの熱気球に乗り込み西ドイツへ亡命しようとするが、
国境まで数百メートルの地点で不時着してしまう。
ペーターは、2年もの時間を費やして準備した計画が失敗したことに落胆するが、
家族に励まされて再び東ドイツからの脱出を目指す。
親友ギュンターの家族も計画に加わるが、6週間後に彼が兵役に就くことになったため
急ピッチで気球作りに没頭する。




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最初から最後までドキドキしっぱなし。(笑)


実話に基づく映画なので無事西ドイツに気球が到着して亡命できました、
ということが分かっているにも関わらずドキドキしっぱなし。

だって、見た目完全素人な一般市民のファミリーが本気で亡命しようとして
その姿は当然観ていて応援したくなるのですが、インターネットもなく、
情報や資材を入手するのも大変な1970年代、しかも社会主義の東ドイツ。

ドキドキした理由の大きな部分がシュタージ(秘密警察)の存在で、
ペーターの向かいの家の父親がシュタージということもあって、
不審な(気球製作)行動がばれないようにと気を付けようとする場面、
実際その父親は気球で飛び立つ直前に、まさかうちの近所が、というほど
気づいていなかった(実際そうだったのか演出なのかは不明ですが)ので、
ペーターとギュンターは気球を運んで飛び立つことがでいるわけですが、
子どもたちが話しまうのではないか、というドキドキとか、
そんなに大量の布を買おうとしたらシュタージにばれてしまうのではないか、
いろいろな場面でドキドキが止まらない私でした。

東ドイツといえば、1990年の春、大学生の頃、バックパックを背負って
イギリスの友人にあった後、船でドーバー海峡を渡り、
ベルギーの港町からはユーレイルパスを使って
ドイツ、オーストリアを電車旅した時に立ち寄った思い出があります。
ベルリンも観てみたかったので西ベルリンに泊まって
(そのときの宿の名前がHOTEL CALIFORNIA(笑))
西ベルリンのZoo駅からSバーンという電車で東ベルリンのFriedrich駅に到着。
1日VISAで5マルク支払い、入国審査は意外とすんなり通り、、
(25マルクの強制両替があると聞いていたのに実際なかった)、
税関のようなところで若い女性職員に手招きされて質問。
東ドイツマルクをもっているか、と聞かれたので持っていないと答えると、
今度は小部屋に連れていかれて荷物を全部出せ、と言われたので、
全部出したものの、だらだらと私の持ち物をチェックしていたので、
「あなたはこうやって来た人全員の荷物をチェックするの?」と聞いたらノーという答え。
やる気なさそうに答えるので、普段ならさっさとやれよ、と言うところを、
ここは社会主義の国、下手に反抗したら怖いからとおとなしくしていたら、
「荷物はこれだけ?_ほかにないの?上着も脱ぎなさい」って言われて。(怖)
ポケットの中からコンタクトレンズのケースを出したら不思議そうな顔をされ、
説明したもののよく分からなかったらしく、結局「GO」と言われて終了。
頭に来たけれど、西ドイツのお金を少し渡せばすぐ放免されるのに、
そんなことは微塵も頭にないし(知っていても渡さないけれど)若かった私。(笑)

その後、町中に出ると、意外に開けていて、でも風景はとても地味、
社会主義っぽい制服を着た人に教えてもらった通りにってブランデンブルグ門を
観たのは今でも覚えています。
前年に東ドイツからも西ドイツに行けるようになったので、いわゆるベルリンの壁が
がりがりと削られ始めていたころ。西側はいたずら書きでいっぱいでしたが、東側は
いたずら書きのない真っ白な壁だったのが印象的でした。

帰りは、車が通る検問所、チェックポイントチャーリーを通って西ドイツに戻ろうとすると、
電車で東に入ったら帰りも電車ででないといけないからここは通れないと言われ、
結局帰りも電車に乗って西ドイツに戻りました。
その時の東ドイツの入国の思い出も壁崩壊寸前とはいえ社会主義っぽい感じ悪さで、
こういう国に住んでいたら自由もなく常に恐怖をいただきながら暮らしていかないと
いけないんだろうな、そんなことを思いながら映画を観ていたので更にドキドキ。

実際亡命したギュンターさんのインタビュー記事を読んだのですが、
気球は3回作り、1回目は適当に作って失敗、その後ちゃんと調べて作ったものの、
2回は強度の問題で失敗、そして3回目で成功、だったそうです。

亡命というと、ベルリンの壁に向かって走っていって、兵士に銃殺される、
そんな実際の映像を何度も見て自由を求めることの大変さを感じていましたが、
先日記事にした「ハリエット」と形は違いますが、Libertyを求める家族の姿には
最後に西ドイツにたどり着けたときなど、私、思わず涙。(;_:)

エンドロールで実際の家族の様子が投影されるのですが、
亡命して10年でベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが一つになり、今に至る、
そして、コロナ禍でメルケル首相が演説した内容は、自由を苦労して勝ち取った
東ドイツのことを知るからこそ訴えることができたのだと思いました。

日本に生まれ住んで半世紀も過ぎた私ですが、勝ち取らずに自由を享受できる
日本にいることでこういう苦労を実感しづらいものの、自由でいられることに
日々のことで文句ばかり言わず自分にできることを行いながら過ごしていかないと、
という気持ちになった「バルーン 奇蹟の脱出飛行」でありました。


(1982年にディズニーが先に映画化しているみたいなのでこれも観てみたいですね)↓








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