京都旅行記2019Ⅱ~比叡山延暦寺~ [日本の旅(関西&東海)]
ケーブルカーの駅から歩いてたどり着いたのは東塔エリアです。
(比叡山延暦寺ホームページ)→ https://www.hieizan.or.jp/
駅のあたりよりは標高の高いところに来ているので若干涼しいとはいえ、
歩けば汗だくだくです。
(比叡山延暦寺ホームページ)→ https://www.hieizan.or.jp/
駅のあたりよりは標高の高いところに来ているので若干涼しいとはいえ、
歩けば汗だくだくです。
延暦寺というと、世界遺産ということくらいの知識です。
半世紀生きてきてそんなレベルでごめんなさい、って感じですが、
今回私なりに調べました。延暦寺って一つの寺院ではないのですね。
西塔、東塔、横川(総称で三塔十六谷というそうです)のエリアにある150ほどの
堂塔の総称で最盛期には3000を超える寺社で構成されていたと、wikiで学びました。
根本中堂はのちほど
大黒堂
最澄上人が比叡山に登ったとき、この地で大黒天を感見した日本の大黒天信仰発祥の地で、
このお堂のご本尊は、大黒天、毘沙門天、弁財天3つが一体となった三面出世大黒天。
豊臣秀吉もこの大黒天に出世を願って豊太閤になったそうです。
萬拝堂
ここは日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神を勧請して、
世界に遍満する神々もともに迎えて泰安し、日夜平和と人類の平安を祈願する堂。
中の写真がなぜか残っていないのですが、顔がたくさんある千手観音菩薩が真ん中に、
周囲には108つの珠がと足元には干支の絵が描かれていました。
ここの御朱印をかいてくださったお坊さん、とても気さくで感じの良い方でした。
(そうでない場合も結構あるのでそう思ったんでしょうね)
ちなみに、このお堂の下の階?にお蕎麦屋さんがあると延暦寺のホームページで
知りました。次回の宿題にしてもいいですね。(^-^)
この後、根本中堂へ
東塔の中堂は西塔、横川の中堂より大きく、延暦寺の総本堂で薬師如来がご本尊。
最澄上人が創建した一乗止観院が元で、その後何度も災害に遭って復興の度に
大きくなっていき、現在のお堂は徳川家光の命で竣工されたもの。
バスツアーの団体さんがものすごく煩くてうっかりイラッとしてしまったのですが、
ここは写真撮影禁止、訪問当時改修中で中に入ると足場が組んであってそこを歩きながら
中を見たのですが、足場をずっと歩いている感じであまり中が見えませんでした。
ご本尊の前で1200年間灯り続けている不滅の法灯も安置されていますが、
これもなんだか遠目に見えるような、、な感じでツアーの波にのみこまれてよく見えず。
改修工事が終わってからまた改めて訪れないと、、という気持ちになりました。
根本中堂の前の階段を上がっていくと、文殊楼
慈覚大師が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建したもの。
その後焼けてしまい、再建されたのがこの楼。
日傘をさして移動していますが、汗だくだく。( ;∀;)
でも、やっと訪れることができたのですから挫けず歩きます。
大講堂
元々あった大講堂は放火による火災で焼失し、
その5年後の1964年、山麓坂本の讃仏堂を昭和39年に移築したものだそうです。
ご本尊は大日如来、この両脇に若い頃延暦寺で修行した高僧(日蓮、道元、栄西、
円珍、法然、親鸞、良忍、真盛、一遍)の像が安置されています。
うつぼ実家のお寺は浄土真宗なので親鸞聖人、
といっても私自身は熱心な仏教徒でもないのですが、
法事やお墓参りのたびにご住職のお話をきいているので、
親鸞聖人をはじめお坊さんの像にきちんとてをあわせてお参りというかご挨拶というか、
させていただきました。
このあと国宝殿を見学して
鐘楼
主に外国人観光客が大騒ぎしながらガンガン鐘をついていました。
誰でもどうぞ、なので別に私がイラつくこともないのですが、
大騒ぎしているのがどうも馴染めません。
で、帰りもケーブルカー
京都のお寺からみていた比叡山、比叡山から京都を観ようと思っていたのに、
ケーブルカーのチケットを購入するとき往復で買うとお得ですよと言われて
咄嗟にでは往復で!と買ってしまったので、帰りも滋賀県側に戻るわけで、
ケーブルカー駅の上にある展望台みたいなところにいきましたが、
遠くに琵琶湖
当然のことながら琵琶湖が見えました。(笑)
次回は叡山電車で京都側から比叡山にいって帰りも叡山電車で戻ってくる、
これは宿題にしたいです。
往復(笑)
ノンアルコールです(自販機はノンアルのみ)
次に出るケーブルカーに私より年上のおばちゃんグループがいて、
大騒ぎで乗っていたので、こりゃパスだな、と私は乗らず、
次のケーブルカーに乗ったら貸切状態でした。(@_@)
当然一番前の席です
運転士さん、私一人でも丁寧に外に見える景色を説明してくれました。
戻ってきました。
ここでお昼でも、、と思ったのですが、
ラーメン、、じゃないのがいいかな、と、
電車で京都に戻りました。
車内で爆睡。(-。-)y-゜゜゜
といっても20分ちょっとであッという間に京都着。
京都らしい食べ物を探します!
(つづく)
最澄上人が比叡山に登ったとき、この地で大黒天を感見した日本の大黒天信仰発祥の地で、
このお堂のご本尊は、大黒天、毘沙門天、弁財天3つが一体となった三面出世大黒天。
豊臣秀吉もこの大黒天に出世を願って豊太閤になったそうです。
萬拝堂
ここは日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神を勧請して、
世界に遍満する神々もともに迎えて泰安し、日夜平和と人類の平安を祈願する堂。
中の写真がなぜか残っていないのですが、顔がたくさんある千手観音菩薩が真ん中に、
周囲には108つの珠がと足元には干支の絵が描かれていました。
ここの御朱印をかいてくださったお坊さん、とても気さくで感じの良い方でした。
(そうでない場合も結構あるのでそう思ったんでしょうね)
ちなみに、このお堂の下の階?にお蕎麦屋さんがあると延暦寺のホームページで
知りました。次回の宿題にしてもいいですね。(^-^)
この後、根本中堂へ
東塔の中堂は西塔、横川の中堂より大きく、延暦寺の総本堂で薬師如来がご本尊。
最澄上人が創建した一乗止観院が元で、その後何度も災害に遭って復興の度に
大きくなっていき、現在のお堂は徳川家光の命で竣工されたもの。
バスツアーの団体さんがものすごく煩くてうっかりイラッとしてしまったのですが、
ここは写真撮影禁止、訪問当時改修中で中に入ると足場が組んであってそこを歩きながら
中を見たのですが、足場をずっと歩いている感じであまり中が見えませんでした。
ご本尊の前で1200年間灯り続けている不滅の法灯も安置されていますが、
これもなんだか遠目に見えるような、、な感じでツアーの波にのみこまれてよく見えず。
改修工事が終わってからまた改めて訪れないと、、という気持ちになりました。
根本中堂の前の階段を上がっていくと、文殊楼
慈覚大師が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建したもの。
その後焼けてしまい、再建されたのがこの楼。
日傘をさして移動していますが、汗だくだく。( ;∀;)
でも、やっと訪れることができたのですから挫けず歩きます。
大講堂
元々あった大講堂は放火による火災で焼失し、
その5年後の1964年、山麓坂本の讃仏堂を昭和39年に移築したものだそうです。
ご本尊は大日如来、この両脇に若い頃延暦寺で修行した高僧(日蓮、道元、栄西、
円珍、法然、親鸞、良忍、真盛、一遍)の像が安置されています。
うつぼ実家のお寺は浄土真宗なので親鸞聖人、
といっても私自身は熱心な仏教徒でもないのですが、
法事やお墓参りのたびにご住職のお話をきいているので、
親鸞聖人をはじめお坊さんの像にきちんとてをあわせてお参りというかご挨拶というか、
させていただきました。
このあと国宝殿を見学して
鐘楼
主に外国人観光客が大騒ぎしながらガンガン鐘をついていました。
誰でもどうぞ、なので別に私がイラつくこともないのですが、
大騒ぎしているのがどうも馴染めません。
で、帰りもケーブルカー
京都のお寺からみていた比叡山、比叡山から京都を観ようと思っていたのに、
ケーブルカーのチケットを購入するとき往復で買うとお得ですよと言われて
咄嗟にでは往復で!と買ってしまったので、帰りも滋賀県側に戻るわけで、
ケーブルカー駅の上にある展望台みたいなところにいきましたが、
遠くに琵琶湖
当然のことながら琵琶湖が見えました。(笑)
次回は叡山電車で京都側から比叡山にいって帰りも叡山電車で戻ってくる、
これは宿題にしたいです。
往復(笑)
ノンアルコールです(自販機はノンアルのみ)
次に出るケーブルカーに私より年上のおばちゃんグループがいて、
大騒ぎで乗っていたので、こりゃパスだな、と私は乗らず、
次のケーブルカーに乗ったら貸切状態でした。(@_@)
当然一番前の席です
運転士さん、私一人でも丁寧に外に見える景色を説明してくれました。
戻ってきました。
ここでお昼でも、、と思ったのですが、
ラーメン、、じゃないのがいいかな、と、
電車で京都に戻りました。
車内で爆睡。(-。-)y-゜゜゜
といっても20分ちょっとであッという間に京都着。
京都らしい食べ物を探します!
(つづく)
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