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広島旅行記2010~広島平和記念資料館編③~ [日本の旅(中四国)]

突然の閃光と爆風で被爆された方々の遺品のそばには、

DSCF1988.JPG 石の階段
DSCF1990.JPGこれも覚えていました
住友銀行の入口の階段で、開店を待ちながら被爆された人の黒っぽい影が
残っている、ということですが、経年でかなり薄くなっているかと予想していたものの
意外に黒っぽく影が残っていました。。

DSCF1989.JPG この黒っぽいのが影です

原爆で被災された直接被爆者は35万人前後、この中には日本に労働力として
朝鮮から強制的に徴用された数万人の朝鮮の人が含まれていたそうです。。。

という説明を見たり、他にも若くして命を落とされた方々の
DSCF1991.JPG遺品を見て
DSCF1992.JPG音声ガイドを聞きながら次の展示コーナーへ。


原爆の熱線による被害についての展示です。

DSCF1993.JPG 被爆で表面がぶつぶつの泡状に変形した瓦
DSCF1994.JPG 倒壊を免れた煙突
DSCF1995.JPG
爆心地から900㍍離れた醤油醸造所の煙突で、強烈な爆風にも関わらず倒壊を免れました。


DSCF1996.JPG変形したレンガ塀
爆心地から2670㍍の広島陸軍被服支廠で、軟弱な地盤で塀にひずみもあった為、
爆風で塀の上部が持ち上がって変形したそうです。


DSCF1997.JPG 続いて大火災の猛威
DSCF1998.JPG ここも実物を触ることが出来ますDSCF1999.JPG 変形したガラス瓶など
DSCF2001.JPG 溶けた瓦の溶融塊(ヨウユウカイ)
高熱で部分的に溶岩状になったもの。
瓦の溶ける温度は1200-1300℃で、原爆投下後の火災が異常に温度が高かった、
ということが分かるんだそうです。

DSCF2002.JPG高熱でくっついたガラス瓶
DSCF2003.JPG 茶碗等も溶けてくっついています

DSCF2004.JPG黒い雨というと

黒い雨 (新潮文庫)

黒い雨 (新潮文庫)

  • 作者: 井伏 鱒二
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1970/06
  • メディア: 文庫

この作品を思い浮かべますが、本当に黒い雨が降ったように見えたのでしょうね。

DSCF2005.JPG 被爆直後からでた障害で
被爆から5ヶ月後の12月末にはほぼ終息した、と書いてありますが、
ここに展示されていた被災者の方々の写真は凄まじいものでした。

また、被爆して時間が経ってからその影響が体に出た人も多く、

DSCF2006.JPG 佐々木禎子さんは
2歳で被爆し、10年経ってから白血病を発症し12歳で命を落とされ、
その後、資料館に来る前に公園で観た「原爆の子の像」が作られた、ということを
DSCF2010.JPGこの展示で知りました。
DSCF2007.JPG 実際に禎子さんが折った鶴
DSCF2009.JPG快復を願いながら折られたんでしょうね

この後、被災された方々の救護、救援、についての展示がありましたが、
DSCF2011.JPG消息が書かれた瓦
別れ別れになった家族が消息を知らせるために、瓦などに書いたそうです。

ここで展示は終了。

出口に向かいながら歩いていると、
DSCF2012.JPG平和宣言

そして、世界各国からの来場者が紹介されていました。
DSCF2013.JPG ヨハネパウロ2世
DSCF2014.JPGバーンスタイン(一緒に写ってる小沢征爾、若い)
DSCF2015.JPGダライ・ラマ14世  などなど



高校時代の記憶って本当にいい加減というか、殆ど残っていないというか、、でしたが、
今回足を運んでじっくり見ることができて本当によかったと思いつつ、
改めて日々こうやって過ごせることに感謝したくなった平和記念資料館でありました。


DSCF2016.JPG 資料館を出てもう一度手を合わせました

 

ここまでが高校修学旅行のおさらい。


次からは大人の修学旅行編とまいります♪

 

(つづく)


タグ:広島
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コメント 12

krause

事実及び実物を並べて展示している点など、原爆の恐ろしさがよく分かります。多くの人たちに見てほしい資料館ですね。
by krause (2010-08-10 10:10) 

うたに

影が焼き付いた階段、教科書で見てよく覚えています。
当時は『そんなこと、起こり得るのだろうか?』と思いましたが、事実なのですね。。
by うたに (2010-08-10 14:44) 

lovin

本当におそろしい兵器。
この平和の願いが世界に届いてほしいです。
井伏鱒二さんの「黒い雨」。
私が最初に原爆のことについて考えたのはこの本を読んでからでした。
中学生くらいだったかな。
この本も、たくさんの人に読んでほしい。
とか言ってる私も読み直そうかな。。
by lovin (2010-08-10 23:13) 

kou

ここは他地方から来た友人や親戚を案内することが多い場所でした。
影が焼きついた階段は、経年変化でやや薄くなっていると聞いたことがあります。(真偽のほどは知らず…)
各国の政府や軍関係の訪問はそれほどないようですので、もっとそういった人たちにも見て欲しいと思います。
by kou (2010-08-11 00:22) 

nyan

影、衝撃的だなぁ・・・
by nyan (2010-08-11 00:39) 

うつぼ

krauseさん、おはようございます。
関東からはなかなか距離があって行き辛いのですが、また足を運びたいと
思います。
仰るとおり多くの人が資料館で自分の目で見て考えてほしいものです。
by うつぼ (2010-08-11 08:52) 

うつぼ

うたにさん、おはようございます。
教科書に載っていたんですね。。
私自身、教科書で戦争について学んだことってほとんど覚えておらず
浅草に住んでいた大叔母さんに聞いた東京大空襲の話や
父親の疎開の話程度なのですが、おなじ日本でこのようなことがおきて
いたということを今回実感できたことは大変貴重な経験になりました。
by うつぼ (2010-08-11 08:57) 

うつぼ

lovin姐さん、おはようございます。
黒い雨、私もまた読もうと思ってます。
いまの若い人って教科書でどのように戦争について学んでるんでしょうね。
黒い雨も姐さんや私の世代は結構読んでいたと思いますが、こういう本は
読み継がれていってほしものです。。
by うつぼ (2010-08-11 09:00) 

うつぼ

kouさん、おはようございます。。
kouさんは何度も行かれてるんですね。65年という年月を考えると
展示品の経年劣化は仕方ないと思いますが、それでもかなり努力して
保存されているように見えました。
海外から著名人が多く足を運ばれているのですから、政府要人などにも
多く足を運んでほしいものですね。
by うつぼ (2010-08-11 09:03) 

うつぼ

nyanさん、おはようございます。
座っていた人の跡が影になって残る、というのはそれほどの衝撃だった
ということでじかに見るとやはり驚かされます。。
nyanさんにも一度は足を運んでほしい場所です。
by うつぼ (2010-08-11 09:05) 

へろーめ

訪問された平和公園は多くの緑をたたえた閑静な場所ですが
原爆投下前は広島一番の歓楽街でした。
何も無い場所に爆弾が落ちたのではなく、
爆弾が落ちて総てが無くなったのです。
広島の地元民としても原爆二世としても忘れてはならないことだと思います。
by へろーめ (2010-08-18 16:09) 

うつぼ

へろーめ兄さん、こんばんは。
ジオラマを見ても、大変賑やかなところだったんだなあと
思いましたが、投下前と投下後、並べてあって本当に
驚きました。
私も今回資料館に足を運んで色々と知ることが出来て
よかったと思いますが、国内外問わず、より多くの方に
足を運んでもらいたいです。。。
by うつぼ (2010-08-20 21:13) 

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