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ヨーロッパ出張記08~セルビア編①~ [欧州の旅(その他)]

クロアチアのザグレブを朝出発し、
お昼過ぎ、やっとベオグラードに到着しました。。。



ベオグラードといえば、旧ユーゴスラビア連邦共和国の首都だった都市。
1980年のチトー大統領逝去の後、次々と共和国が分裂していく訳ですが、
セルビア領だったコソボ社会主義自治州がセルビアからの分離を求め
セルビア人と対立したことから民族対立が激化、また地域の経済格差が広がっていきました。

1991年にクロアチア、スロベニア、マケドニアが、
1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナがユーゴスラビアから独立し。

残されたユーゴスラビアは
セルビアのスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領の支配でセルビア人の国家とみなされ、
モンテネグロとあわせて新たなユーゴスラビア連邦共和国を形成したものの経済制裁を受け、
更には、コソボ紛争が起きたことによって、
1999年NATO(北大西洋条約機構)軍がセルビアを爆撃、
2006年にモンテネグロが独立したことにより、
スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、セルビア、モンテネグロの
6つの共和国で形成されていたユーゴスラビア連邦は解体されました。
(2008年2月にはコソボ自治州も独立を宣言している)



というのが私が簡単に予習したセルビアについて、です。


今は平穏に時が流れているように見えますが、
現在に至るまでに民族や宗教の対立による紛争が起き、
沢山の方が犠牲になったという歴史を知るにつれ、
普段、ノホホーンと日本で暮らしている私などには事実を知ることが出来ても
(テレビの画面越しに紛争の様子などを見た事がありましたが遠い国のことと思っていましたし)
想像が非常に難しい背景というか、事情を理解するのが未だ難しいままでございます。。


紛争が長引き、経済復興が始まったばかりなのか、
旧市街は、
DSCF9568.jpgまだこういう古い感じのところが多く
DSCF9564.jpg これは新しい感じですが地味な雰囲気の町並み

新興地区ではかなり多くのビルが増えてきていますが、、
1999年のNATO軍の爆撃でドナウ川に架かっていた橋が破壊され、
残った数少ない橋で往来している為、
旧市街と新興地区の移動の際は、渋滞するのが日常茶飯事だそうです。

実際、当時の爆撃の傷跡が今でも残っていて
帰国する日にホテルから大回りしてもらって車窓から見学したのですが、
官公庁が密集するエリアが重点的に爆撃の対象になったそうです。
ただ、誤爆も実際多かったらしく、
子供病院も爆撃され、幼い命が沢山奪われたと現地スタッフから聞きました。
DSCF9656.jpg右側が誤爆された子供病院

現在は、これらの爆撃を受けた建物も少しずつ解体し復興しているそうですが、
まだまだ時間がかかりそうな、、、、そんな印象を受けました。


ベオグラードに着いてからは旧市街の取引先に向かい、
軽食を食べながら打ち合わせをしたり、、、でしたが、
セルビアの人達は日本人に対して好意的、に見えました。

その理由の一つが、DSCF9633.jpgこのバス

1980年代、チトー大統領逝去後、深刻な経済危機に直面し、
更には紛争が多発、経済制裁を受け、NATO軍からの空爆、、、
民族対立、紛争によるセルビア系難民/避難民がセルビアに沢山流入し、
セルビア共和国の経済は壊滅状態になりました。
そこで、セルビアの復興に役立てば、、、と、
日本政府が2002年「ベオグラード市公共輸送力復旧」の名目で、
この二連バス購入資金として20億円弱の限度で無償資金援助で支援したそうです。
この援助資金で、市内8路線を対象に98台を購入し、そのバスには、
DSCF9634.jpg 両国の国旗(左)と
“Donation From The People of JAPAN”と書かれています。

因みに、外務省ホームページにも支援について記載されいていましたのでご参考まで。
→ http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/hanashi/news/europe/serbia_monte1.html

と、セルビアについて少々ながら学習したところで。

(つづく)


タグ:セルビア
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コメント 16

cocoa051

チトー大統領のようなカリスマと強権政治が終わると、いっきに矛盾や不満が噴出するということですね。
それも、単なる政治的なパフォーマンスならいいですが、戦争、それもきのうまでおなじ国民だった者同士ですからね。ホントに悲劇ですねぇ。
by cocoa051 (2008-12-27 02:50) 

うつぼ

cocoa051さん、またまたおはようございます。
日本だと誰が首相になっても、、、なんて感じですが(笑)、多種多様の民族、宗教で成り立つ国を束ねていた人がいなくなると、それまで抱えていた不満が表出してしまうんでしょうね。
各々の共和国が独立して、今は平穏に見えますが、二度と争いが起きないことを祈りたいですね。
by うつぼ (2008-12-27 07:07) 

Krause

そうですね、「ベオグラード」と聞くときな臭い感じがしますね。バイエルン(南ドイツ)に仕事で滞在していた頃、小さな街でも「ユーゴスラビア料理レストラン」をあちこちに見掛けました。何度がそこでユーゴスラビア料理を食べましたが、美味しいものでした。今思えば、戦渦から逃れてきた人たちが始めたものだったのでしょう(その時は歴史も知らず、分かりませんでした)。つづきを楽しみにしています^^。
by Krause (2008-12-27 09:24) 

ベアトラック

チトー大統領とは、何とも懐かしい名前ですね。すっかり忘れていました。
政治・民族の紛争による戦禍、生々しいんでしょうね。
それにしても、旧東欧は、やはり町並みが地味な雰囲気ですね。
by ベアトラック (2008-12-27 10:21) 

LICCA

うつぼさん、こんにちわ!
病み上がりです(苦笑)
記事のまとめ読みになってしまいました・・・(汗)
このあたりまでお仕事行くのも大変だなぁ、と思いつつ、こんなところまでうつぼさんの会社は進出しているのだなぁ、とか、とにかく国名が内乱のニュースでしか聞かない土地だったので、ふむふむな感じです。
でも、このバスの話とは、本当なら、日本人がもっと知っていなきゃならないですよね。だって「The People of Japan」じゃぁね。
そういえばエリック・バナが、クロアチアとドイツのハーフでしたね(笑)
by LICCA (2008-12-27 15:52) 

hideyuki2007y

セルビアはビザの関係がよくわからなくて行ったことが無いのですが、仕事で行く同僚からは、電気がとまったり、水が心配だったりと、ぼやいてました。しかも、途中でモンテネグロと分かれてなんだか大変そうでした。クロアチアのお隣なんですが、インフラはずいぶん違うようですね。
しかし、中欧の奥地?までお疲れ様です。
by hideyuki2007y (2008-12-27 17:58) 

snorita

私の友人にセルビアとクロアチア人のカップルがいます。彼らは祖国を脱出して、流れ流れて豪州で暮らしてるんですけど、お互いの家族に銃を向け合うぐらいなら、亡命する、と決めたといってました。
日本人は幸せだね、本当に。
つい最近まで戦争やってた国なんだよね、ここは。
by snorita (2008-12-27 19:57) 

うつぼ

Krauseさん、こんばんは。
ユーゴ解体で民族が移動というか避難というか、あちこちに逃れていったそうですから、陸続きのドイツにユーゴスラビア料理レストランがあるのもその関連かもしれませんね。
今日はベオグラードの記事をアップしいましたが、明日は会食の記事をアップする予定です。なかなか珍事で面白いことがありました。お楽しみに。(^^)
by うつぼ (2008-12-27 20:53) 

うつぼ

ベアトラックさん、こんばんは。
チトー大統領、私も遠い国の大統領、というくらいしか知識がありませんでしたが、今回良い勉強になりました。
>やはり町並みが地味な雰囲気ですね。
本日も地味な雰囲気の記事をアップいたしました。。。
どうぞご一読くださいませ。(^_^.)

by うつぼ (2008-12-27 20:55) 

うつぼ

LICCAさん、こんばんは!
病み上がりですか。。もう回復されたんでしょうか。
寒い日が続いてますからお大事になさってくださいねー。
で、勤めている会社も最近このあたりの国々に製品を出荷するようになったので、種まきというかなんというか、で出張となりました。
バスの話も現地スタッフから聞いて、その事実を知らない自分をトッホッホ、、と思ってしまいましたが、当の日本人がもっと知ってもいい話ですね。
>エリック・バナ
確かにそんな感じの顔立ち。(^^)

by うつぼ (2008-12-27 21:00) 

うつぼ

hideyuki2007yさん、こんばんは。
西欧と取引を増やして経済復興しているクロアチアに比べるとまだまだな感じがしましたし、仰る通りインフラの整備はこれから進めないといけないだろうな、と思いました。
>中欧の奥地?までお疲れ様です
今度は自分でノンビリ観光してみたいとつくづく思いました。(^^)
by うつぼ (2008-12-27 21:03) 

うつぼ

snorita姐さん、こんばんは。(もう日本すか?)
姐さん友人のカップル、確かに故郷では一緒にいるのが難しいでしょうね。
今でも陸続きで行き来できるとはいえ、互いの国というか民族での悶々も根深くあるようですし。
>日本人は幸せだね、本当に。
何だかんだ言ってもそうですね。私もホントにそう思いました。
by うつぼ (2008-12-27 21:06) 

うたに

セルビアでの紛争は、記憶に新しいですが、復興する一方で傷痕もまだ残っているんですね…。
多少文句はあっても、平和な国に暮らしているというのは、何にも代え難いものだと感じました。
by うたに (2008-12-28 17:43) 

うつぼ

うたにさん、こんばんは。
紛争についてはテレビのニュースでちょっと見た程度で
遠いところの話だと思っていましたが、今回の出張で勉強して、
日本は暗いニュースがあるといっても民族や宗教で対立することも
爆撃されることもなくて平和なんだろうな、と思いました。。。
by うつぼ (2008-12-28 20:01) 

satokot

この地域って紛争だ独立だってテレビニュースでやってますけど、詳しく報道されないしそもそもなんでモメてんのかよく分からず、、、遠い国のような話に感じていました。うつぼさんの記事も勉強になりましたし、実際の町の写真などを見るとグッと身近に近づいてきたような気がします。
日本が復興支援とかしてたのは初めて知りました。もっとこういうところアピールすればいいのにね。戦艦にサービス給油なんかしてないでサ。
by satokot (2008-12-30 14:41) 

うつぼ

satokotさん、こんにちは。
私自身も行く機会がなければちゃんと調べなかったかもしれませんね。
そのくらい遠い国の争い、という程度の認識しかありませんでしたし。
私の記事で少しでも知る機会を持っていただければ、、、なんて
思いますが、確かに復興のことをもっとアピールすればいいのに、ですね。
by うつぼ (2008-12-31 09:46) 

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